田沼意次が幕政の実権を握った江戸時代中期の宝暦8年(1758)から約30年間を田沼時代と呼ばれています。この時代貨幣を統一し、商業を重視して、貿易を拡大させ日本の近代化の先駆けといえる政策が行われました。その近代化の名残を残している城下町が遠州・相良です。この地に築かれた相良城は、相良湊近くに造てられ、その堀は海水が入る構造になっていて、海の魚が捕れたと言われています。それは、外国との交流を拒絶する鎖国ではなく他国のすぐれた物資や文化、技術を交易で取入れられる構想を持っておりました。当時は、長崎、平戸など、ほんの一部しか外国との交流は禁じられていましたが、意次は国を豊かにするために相良港を世界各国の船で満たすことを夢見ていたと思われます。そんな相良の町の一端をご紹介します。 |
|