大鐘家
  大鐘家は約300年前の建築物で、母屋・長屋門は「国の重要文化財」です。約1万坪の庭園には、あじさいや酔芙蓉など季節の花を楽しめ、裏山からは富士山と駿河湾を一望できます。大鐘家7代目「大鐘籐八郎貞綱」は、尾張の国高針の出身で、戦国武将柴田勝家の家臣となり、勝家の甥である柴田勝豊(越前丸岡城城主)の家老として仕えました。その後、勝豊は近江長浜城主となりますが、勝家との確執もあり、豊臣秀吉に従います。大鐘も豊臣方となり、「賤ヶ岳の戦い」では豊臣側として柴田勝家を相手に戦いました。その後勝豊も病死し、長浜城主は山内一豊に変わります。のち一豊が掛川城主となり、大鐘は一豊の命により遠州相良に移り住みました。江戸時代は旗本として徳川家に仕えましたが、江戸中期大庄屋となり、「大鐘館」を築きました。大鐘家は、別名「花庄屋」とも呼ばれ、大鐘家屋敷の1万坪の敷地に、初夏はあじさいが咲き誇ります。ガクあじさい、西洋あじさいなど、35種類10,000株のあじさいが植えられており、紫・白・青の美しい花々が「花庄屋」を彩どっております。春には江戸時代に作られた、つるし雛・雛の段飾り、瓢箪の吊し飾り・着物・帯などが古民家に鮮やかに飾られ、風情ある情緒を堪能することができます。また、200年前の米蔵が史料館となっており、江戸時代から遺構された秘宝物が常時展示されています。渡辺崋山谷文晁などの掛け軸があります。また、田沼家から賜った酒杯も展示されています。
 あいにく、アジサイは今回訪れたときはまだ、咲いていませんでした


       


                                                                                                                                                      * 写真は一部、web上から拝用させていただいています