【宮野古民家自然園】
宮野家
  鎌倉時代源頼朝の武将畠山重忠が戦死したのち、その家臣宮野友右衛門左近は碑文谷にやって来ました。当初、碑文谷八幡宮の社司を務めましたが、後に帰農し、その末裔が代々田畑を広げ守ってきたと伝わっています。江戸時代、碑文谷一帯は寺領、旗本領で純農村的な地域であったようです。宮野家が家運を隆盛させたのは、家主が鎌吉(1838~1915)のときで、主屋の改築、茶室の新築を行い、茅葺き屋根を銅葺きにしました。建築当時の骨組みや食違型田字形は保存状態がよく、今日に至っています。その長男鎌次も、富を蓄え、財団法人を設立して古民家、家財の保存に努めました。古民家園は、現在、目黒区の有形文化財に指定されています。