2017年6月2日(金)。数日前まで雨天の予報であったので、延期を考えていましたが、いざ当日になってみると青空が広がる快晴に恵まれ絶好の散策日和を迎えました。中野駅北口に集合し、全員集まるや直ちに「中野・東中野界隈」散策の出発進行となりました。

  最初に訪ずれた所は中野区役所の南面の一角で、犬の像たちが置かれいます。この付近一帯は江戸時代第5代将軍綱吉のときに布告された「
生類憐れみの令」に従い、10万坪に及ぶ犬囲い場が作られた所でした。当時の様子が解説版に詳細に書かれていました。この場で集合写真を収めて、次の警察病院の中に立っている旧陸軍中野学校の跡地に向かいました。石碑に書かれているだけで往時を偲ぶことはできないが、日本陸軍の機密工作を行う諜報員たちがここで育成されていたという。つづいて大正期に天才建築家後藤慶二によって造られた旧豊多摩監獄舎跡に向かいました。この地は現在法務省管轄の矯正研修所になっているが、重厚で堅固な煉瓦造りの監獄門が保存されていました。この監獄は、治安維持法制定以後、主に思想犯が多数収監され思想家 大杉栄、プロレタリア文学の小説家 小林多喜二、創価学会の創設者 戸田城聖等が収監されていたという。

 ここから東へ200m程歩くと菅原道真を祀った北野神社があります。学問の神様であるばかりでなく、様々な厄にご利益があるようで、筆者は、孫の生育、病魔退散を祈願しました。境内の力石や撫牛像からも元気をもらって次の散策地、新井薬師に向いました。江戸時代から高尾山薬王院などとともに庶民の篤い信仰に支えられた寺院で、本堂内部や境内に置かれた江戸庶民から寄進された天水桶などからも信仰の深さが伝わってきます。子育、治眼にご利益があるとされる境内の湧水・白龍権現水には、今日でも近隣の人々が、ポリタンクを抱えて汲みに来ています。こちらも、空になってきた水筒に水を補給のご利益をいただきました。

寺院を出ると門前町として栄えた様子を偲べる店舗が並んでいるが、路地を一歩入ると住宅街が広がり、かっては大きな農家が点在していたことが伺えます。その一角に鈴木家という豪農の家があり、今日でも大きな欅や杉の木が聳えるように立っていました。この雑木林を詩人 
巽聖歌(たつみせいか)が、しばしば散歩でこの地を訪れ、この豪農の家の周りに囲まれた垣根をイメージして詩を作り、この詩に作曲家渡辺茂が節を付けて童謡「たきび」の歌が生まれたという。この名曲をハーモニカ伴奏で皆で合唱しました。歌い終わると、空腹を感じてきました。昼食を求めて新井薬師駅前にある手頃な店を見つけてランチタイムとしました。(つづく)
中野 犬囲い場跡
旧陸軍中野学校跡
旧豊多摩刑務所跡
北野神社
新井薬師
梅照院
たき火の歌発祥の地
 豪農 鈴木家の前  ”たきび”の作曲者 菊地茂を解説する矢野氏
  昼食後は、駅から上高田通りに出て、東に向けて歩みました。300mほど行くと、大きな寺院の前にでました。萬昌院功運寺である。寺は幼稚園経営を行っているせいか、ガードマンを山門前に配置していて、無断では入れない警備体制である。しかし、予め、寺に散策の許可を取っていたので、難なく入山できました。幼児たちがたくさん境内広場に出て遊んでいるが、 幼児たちには関わらないで墓所に進みました。当山は曹洞宗寺院としても格式が高く、譜代大名・永井家、高家肝煎・吉良家、今川家らの菩提寺になっています。赤穂事件で悪役にされた吉良上野介義央(よしひさ)をはじめ、歴史上に登場する人物たちが多く眠っている。直心影流の剣豪・長沼国郷、幕末期・若年寄永井玄蕃頭尚志やその末裔で作家・永井荷風を輩出した永井家、さらに、歌舞伎役者の姿絵作者・歌川豊国一門、旗本奴・水野十郎左右衛門、作家・林芙美子の墓もありました。墓参りしながら歴史の勉強になりました。

  つづいて隣接する宝泉寺に移動。当山には、徳川家康の近習で、家康の天下取りに活躍して京都所司代を任官した
板倉重昌の墓がある。重昌は、島原の乱を治めようと大将として意気込んで乗り込んだが、キリシタンたちの必至の抵抗に手を焼き果たせず、屈辱の解任を受けた。その汚名を返上しようと無謀な突撃をして戦死してしまった武将である。宝泉寺を出て、左の道を100mほど行くと願正寺がある。ここには日米通商条約の批准書交換で渡米して、大任を果たした新見豊前守正興の墓がある。境内にはマッカーサー米国大使が墓参した折、植樹した記念樹が植えられている。(つづく)
萬昌院功運寺
宝泉寺
願正寺
 
 上高田地域には 多くの寺院が軒を並べるように建立されている。これは明治時代の「東京市区改正条例」と大正期の「関東大震災」で都心部からこの地域に多数移転してきたからである。願正寺を出て、もとの道を戻り、上高田1丁目の信号を右折して、白桜小学校の塀に沿って道なりに進むと早稲田通りに出る。右折して100m程行くと宗清寺に着きました。当山には幕末外国奉行として活躍して、小笠原諸島を日本の領土として国際的に認めさせる偉業を果たした水野忠徳が眠っている。隣接して源通寺がある。ここには明治初期に歌舞伎の脚本、劇作家として人気のあった河竹黙阿弥の墓がある。寺を出て、早稲田通りの元来た道を戻って、先ほど、早稲田通りに出た地点を通り過ぎると右側に「生鮮&業務スーパー」の大きな看板を架けた店がある。この店はわれわれの同期生 石黒鉱一郎氏が経営している店で、横浜戸塚区に本店を置き、東京・神奈川に8店所有している店の一つである。歩みを進めると左手に荒居山高徳寺がある。当山には、江戸幕府第6代、7代将軍の下で、「正徳の治」と謳われる善政を行った儒学者新井白石の墓がある。余談ですが、筆者は、NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」で、名脇役・佐藤慶さんが白石役を演じたので、新井白石というと佐藤慶さんの顔が浮かんできます。その他、当山には、美容家・山野愛子、俳優長門裕之・南田洋子そして粋談家・柳家三亀松も眠っていいます。つづいて、本日最終散策地正見寺に向かました。浄土真宗大谷派の寺院で本堂脇には大きな親鸞聖人の青銅像が立っています。墓地には江戸三人美女の随一と謳われ、幕臣御庭番倉地家に嫁入りした茶屋・鍵屋の娘笠森お仙の墓がある。どんな美人であったのか?ニタニタ顔でお仙の姿を想像しました。以上をもって、第29回 お江戸散策をお開きとし、暑い中を歩き、すっかり渇いたのどを潤しに懇親会へと進みました。 (石井義文)
宗清禅寺
源通寺
高徳寺
 正見寺
 〔懇親会〕