武田神社 (躑躅ケ崎館跡
 武田神社
武田神社は武田信玄の父信虎が永正16年(1519)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座しています。この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住しました。信玄は、わが国戦国時代きっての名将といわれています。大永元年(1521)当神社の背後に控える石水寺要害城で誕生し、21歳の時に国主となって以来30年余、諸戦に連戦連勝を重ねたばかりでなく、 領国の経営に心血を注ぎました。特に治水工事においては、”信玄堤”という洪水対策の防堤を築き、今日においてもその機能が活かされて、洪水を防いでいます。農業・商業の隆興および鉱山開発にも力を入れ、富を蓄え、領民にも深く愛されました。天正元年4月12日に上洛の夢半ばに、京へ上洛する途中、信州駒場で病のため、53歳の生涯を終えました。
 武田神社宝物殿
 宝物殿の特筆物は三條家より寄進された「吉岡一文字」の太刀であり、国の重要文化財に指定されています。この太刀は創建以前の明治13年、明治天皇の行幸啓の際、神社創建を祈念して奉納された同家伝来の名刀です。そして、大正8年の神社創建以来全国の武田家関係者より同家ゆかりの遺宝等が奉納され、昭和47年に開館しました。収蔵している品々は歴史的、文化的価値が高く、それらに対峙していると、戦国の世に文字通り命を賭けて天下統一の夢に、そして、内政に心血を注いだ武士(もののふ)の情熱が伝わってきます。
躑躅ケ崎居館があった頃には、この平地に馬出しがあった
馬出しとは、人馬の出入りを秘匿するとともに虎口(こぐち)を防御する所をいう)
躑躅ケ崎館は深く掘られた土塁で防御されている

      


               * 写真は一部、web上から拝用させていただいています