伊豆山神社
伊豆山神社
  伊豆山神社の創建の年代は不詳だが、社伝によると孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)とされる。
第16代仁徳天皇が勅願所とされ推古天皇、孝徳天皇の頃の勅願所となったと伝わり、後奈良天皇は自筆の紺紙金泥般若心経 一巻を当社に奉納している。修験道の始祖とされる役小角(えんのおづぬ)が文武天皇3年(699)に伊豆大島へ配流された折り、島を抜け出し伊豆山で修行していたとき湯煙が上がる走り湯を発見したという。役小角は、その湯に千手観音菩薩を感得し、「無垢霊湯、大悲心水、沐浴罪滅、六根清浄」という功徳を授かったといい、その湧き出る霊湯「走り湯」を神格化したのが走湯権現とされる。また、弘法大師(空海)が修行したという伝承もあり、多くの修験者が修行を積んだ霊場であった。源頼朝は伊豆国に配流されたとき、しばしば、当社で源氏再興を祈願したとされ、頼朝は鎌倉幕府を開くと、関八州鎮護と称え多くの宝物を寄進している。その影響で当社は東国の守護神として絶大な信仰を集め、歴代将軍や幕府要人が伊豆山神社(伊豆山権現)と箱根神社(箱根権現)を「二所権現詣」を行うようになった。また源頼朝と妻・北条政子の逢瀬の場であったとされ、境内に頼朝・政子腰掛石が残る。
 南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされるなど、この時期、当社が最盛期を迎えていたことが伺える。戦国時代、小田原北条氏の篤い崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した。江戸時代に入ると山麓の阿多美の郷(熱海)が湯治場として名高くなり、徳川家康はじめ多くの大名や文化人たちが訪れた。焼失していた当社の堂宇は再建され、江戸幕府からは文禄3年伊豆国加増も葛見郡のうち二百石を、慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石をそれぞれ朱印領として寄進され、以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けた。高野山真言宗の古刹の般若院が別当寺だったが、明治維新での神仏分離令により寺が分離され、伊豆山神社と称されるようになった。
手水舎:権現造りで、華麗な意匠が施されている。
電電社:吾妻鏡で「光の宮」と呼ばれる社で、政治を司り導く神として鎌倉3代将軍実朝、足利氏、德川2代将軍秀忠等
  日本国の統治者が崇敬して改築している。事業、経営、商売繁盛にご利益があると信仰されている。

      


               * 写真は一部、web上から拝用させていただいています