隅田川に架かる美しい清洲橋の景色を堪能してから、平賀源内エレキテル実験の場やコンクリート発祥の地を散策した。そこから
仙台堀川に沿って進み、海辺橋にたってきた。ここには、俳人杉山杉風の庵室(採荼庵  さいとあん)がある。松尾芭蕉は、この庵で
過ごした後、「奥の細道」の旅に出向いた。
【深川町・永代町界隈】
【浄土宗 心行寺】 
 【真言宗豊山派  法乗院】
 ゑんま堂
法乗院ゑんま堂は、寛永6年(1629)深川富吉町に創建され、同18年に現在地に移りました。開山は覚誉憎正、本山は十一面観音で有名な大和長谷寺です。当山は、弘法大師四国八十八ヶ所霊場の写し霊場として、江戸時代中期の宝永年間(1751-64)に江戸に設けられた御府内八十八ヶ所の第74番目札所であり、江戸三えんま『深川ゑんま堂』として古くから人々に親しまれてきました。江戸の時代には、当山正面に通じる道にゑんま堂橋が架けられ、現在の清澄通りがなかった当時は、深川の中心道だったと伝えられています。また、里俗に為永春水「春暁八幡佳年」、河竹黙阿弥「梅雨小袖昔八丈」などの江戸町人気質を盛り込んだ代表的江戸文芸や芝居の作品中にも当山は描かれており、当時の様子を伺い知ることが出来ます
【臨済宗 陽岳寺】
 陽岳寺
 陽岳寺は、臨済宗妙心寺派に帰属する禅寺です。寛永14年(1637)の創建で開山は文室祖郁、開基は御船手奉行 向井左近衛将監源忠勝。(むかいさこんのえしょうげんみなもとのただかつ)。今川家、武田家、徳川家と戦国時代に三家に仕え、彼ら大名を海上から支援した水軍/海賊です。徳川家康は江戸湾の奥に、敵水軍を迎え撃つ海賊衆による、ガイドラインを引きました。そのラインは、伊豆、三浦三崎から葛西、江戸へと到ります。歴史は、各地に散った紀州海賊衆の足跡を、紀州より相模湾、東京湾に残しているようです。時は流れ大正年間。深川の大火や関東大震災により陽岳寺の本堂、庫裡もすべて焼失してしまいました。ご本尊は震災後、妙心寺実相院から譲与された室町時代末期作の十一面観世音菩薩座像です。
【一見の歴史スポット】
 忠敬はこの住居から、浅草天文台との間を歩測をしながら師高橋至時のもとに通っていた
 船員教育発祥の地
 黒船の来航によって開国を余儀なくされた江戸幕府は、海軍講習所・軍艦操練所などを設置して日本人による軍艦の運航ができる体制を整えようとした。明治になると、わが国の商業海運界も国際的にみて立ち後れが目立ち、船員教育の制度が必要とされた。明治8年(1875)、
岩崎弥太郎大久保利通 内務卿の命により「三菱商船学校」を、永代橋の西南の一角に設立。これがのちの東京商船大学のちの東京海洋大学となった。