天下の名園 ”清澄庭園”の築山や名石を配置した回遊式林泉庭園をゆっくり散歩してきました。次は、庭園北に足を向けて、松尾芭蕉ゆかりの臨川寺や小名木川に近いとことにある相撲部屋・尾車部屋、北の湖部屋そして大嶽部屋(大鵬部屋)等を拝見しました。部屋を出て西に向かうと隅田川に出て、美しい形状の清洲橋を眺めることができる。川に面した、その一角には、日清戦争時の外務大臣を務めた陸奥宗光の邸宅があったようだ。現在、その地は、会社の倉庫兼物流センターになっていて、当時の邸宅の様子を伺い知ることができないが、朝夕、墨田川の流れを眺めながらの生活は、さぞ、政治のストレスを癒してくれる地であったことと思われる。それにこの地には、天才、平賀源内がエレキテルの実験をした所や日本最初のセメントが製造された所があり、それらを視認して次の散策地に向かった。
【清洲町界隈】
 清洲橋(きよすばし)
 清洲橋は、隅田川にかかる橋で、江戸時代「中州の渡し」という渡船場があった場所に設置された。都道474号浜町北砂町線(清洲橋通り)を通す。西岸は中央区日本橋中洲、東岸は江東区清澄一丁目。「清洲」という名称は公募により、建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から採られた。関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋である。「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインである。当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋の大吊り橋をモデルにしている海軍で研究中であった低マンガン鋼を使用して、鋼材の断面を小さくする努力がなされた。
 
陸奥宗光は、外務大臣時代、清洲橋の傍らの一角に邸宅を構えていた。
 浅野総一郎  [1848~1930]
実業家。富山の生まれ。渋沢栄一の助力を得て官営深川セメント工場の払い下げを受け、
浅野セメントを設立。海運・炭鉱・造船など事業を多角化し、浅野財閥を築いた。