【富岡八幡宮】
 富岡八幡宮
 富岡八幡宮は寛永4年(1627)菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託により、当時永代島と呼ばれた小島に創祀したのが始まりとされてます。当時は「永代嶋八幡宮」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,000余坪の社有地がありました。また八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれ、今日に至っております。また、長盛法印は同じ地に別当寺院として永代寺も建立しています。 当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地も広がり、江戸時代後期には門前町として栄えました。富岡八幡宮の例祭は8月15日を中心に行われます。俗に「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています。3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は、”
本祭り” と呼ばれ、御本社二の宮神輿をはじめ、53基の町神輿が勢揃いして、水を掛けられながら、連合渡御する様は、盛大圧巻で深川八幡祭りを最高潮に盛り上げ、見物に集まった庶民から大喝采を受けます。
 摂津国住吉大社から勧請された  祖霊社には、松尾芭蕉が祀られている
 伊能忠敬
  近代日本地図の始祖である伊能忠敬は、郷里の下総佐原で酒造、薪炭、金融などを取り扱う事業で成功したあと、50歳のとき江戸に出て富岡八幡宮近くに穏宅を構えていました。寛政12年閏4月19日の早朝に、当宮に参拝して、第一回蝦夷地測量の旅に出掛けました。伊能忠敬は全部で10回の測量を企画しましたが、そのうち8回は、出発の都度、内弟子と従者を率いて、富岡八幡宮に参詣してから出発しました。当宮は、伊能測量にとって大変、縁深いところなのです。


深川の力持(ちからもち)
 深川の力持は、江戸時代からの隅田川沿いの蔵庫地帯で、米俵や酒樽などの荷物担ぎを競い合って運搬ことから発生した余技で、種々の力自慢が加わり、芸能として発達したものです。文化・文政時代頃には、興行として行われるほど盛んになり、長唄「近江のお兼」にも唄われています。毎年10月の江東区まつりで公開されています。
 御本社一の宮神輿  
平成3年(1991)に製作された、日本最大の神輿。高さ4.4メートル、重さ4.5トン。一宮神輿は非常に大きすぎて担ぐ事が出来ず、今まで担がれた事はありません。佐川急便会長が寄贈。
御本社二の宮神輿
二宮御輿は一回り小さく、高さ3.3メートル 重量2トン。三年毎の例大祭で、大群衆に依って担がれます。迫力満点です。
 
 八幡橋
  明治11年(1878)工部省赤羽製作所で製造された国産最古の鋳鉄製の橋梁です。旧名は「弾正橋」といい、京橋楓川に架かっていたが、富岡八幡宮の東隣りにあることから八幡橋と改称された。関東大震災後、当所に移転した。アーチ部は鋳鉄、引張材は錬鉄を使用した錬鉄製で橋梁技術史上大変価値ある橋である