大嘗宮拝観
  毎年11月23日、全国の神社において新嘗祭(にいなめさい)が行われます。この新嘗祭のうち新天皇が即位して最初のものを大嘗祭といいます。「新」は新穀(初穂)、「嘗」は御馳走を意味し、天照大神はじめすべての神様に新穀をお供えして、神様の恵みによって新穀を得たことを感謝する御祭です。五穀豊穣を祈願した2月17日の祈年祭と相対するお祭りで、この日、宮中では天皇陛下が感謝をこめて新穀を奉るとともに、御自らも召し上がります。大嘗祭は、即位の時期が、5月であったので、2019年は11月14、15日に行われました。大嘗祭で使われる御米は、カメの甲を使った「亀占」によって産地が決められます。それを「斎田点定の儀」といい、大嘗祭における儀式は、5月13日に皇居・宮中三殿で古式ゆかしく行われました。結果、御米は東日本(悠紀(ゆき)地方)から栃木県、西日本(主基(すき)地方から京都府が選ばれました。余談ですが上皇陛下が天皇に即位したときは秋田県、大分県でした。
 二の丸庭園
   江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で、寛永7年(1630)に小堀遠州の手により遊行のための庭園として造成され、家光と秀忠との茶会がここで催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の寛永13(1636)年には二の丸御殿が建てられ東側に庭園を配置しました。築庭当初の江戸城二の丸庭園は白鳥濠と繋がる池の中には能舞台を配するなど遊興性の強い造りで、将軍の別荘のように使用されましたが、創建5年後には取り壊され、世継の4代将軍家綱のための御殿が建てられました。しかし、明暦の大火で焼失。その後、二の丸は将軍の隠居所、将軍生母の居住所となりましたが、文久3年(1863)に、また焼失。「寛永十二亥年二之丸御指図」によると、現在の二の丸雑木林あたりに御殿があったようです。二の丸には現在、9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本が植えられています
 スライドショー