4 日目      その 2019.08.03  
小牧城址
天正小牧山合戦
 天正10年(1582)6月の本能寺の変の後、信長の後継者問題で次男信雄と秀吉が対立、秀吉は信雄を懐柔しようとしますが、信雄は応じず、返って反逆したため、秀吉は、北伊勢の居城を攻撃します。信雄は驚き、家康に援助を求めたところ、信長に恩のある家康はこれを引受け、自ら大軍を率いて、清須城に入り、小牧山に軍を進めました。一方、秀吉は大阪城を出て、犬山に入り、市内の岩崎山を中心に、各地に砦を築いて小牧山の家康と対峙しました。このときの両軍の軍勢は10万余と言われます。
 しかし、戦いは小競り合いを繰り返し、長く膠着状態が続きました。秀吉は、部下の池田信輝の再三の進言による家康の居城である岡崎を攻撃すれば、局面を打開出来ると作戦を採用し、軍の一部を移動させますがこれを察知した家康は自ら軍を率いて、秀吉軍を追進撃して打ち破りました。これが長久手の戦いで、家康軍の勝利に終わりました。