奥殿陣屋

奥殿陣屋
 奥殿陣屋は持統上皇が命名されたと伝えられる花園山(村積山)の麓、徳川氏の発祥地松平郷に程近いところにある。ここには、千石の親藩として奥殿藩の歴史と文化が静かに眠っています。歴代藩主廟所には徳川家康の祖、松平家の親藩として初代真次から代々の藩主や奥方をまつる壮大な墓塔が立ち並ぶ廟所があります。そして、資料室には、奥殿藩・奥殿陣屋などの歴史を分かり易く展示しています。この陣屋には、幕末から明治に活躍したゆかりの人物が登場します。
大給恒(おぎゅうゆずる) 最後の藩主。日本赤十字社の父と呼ばれています。勲章制度を確立した人でもあります。
永井尚志(ながいなおゆき) 江戸時代末期の幕臣。三河奥殿藩主大給乗尹の子で旗本永井氏を継ぐ。幕府海軍の創設に尽力し,外国奉行,軍艦奉行を経て大目付、若年寄職を担いました。戊辰戦争では箱館に拠ったが、榎本武揚と共に投降しました。明治5年(1872)、新政府に出仕し,のち元老院権大書記官となった。また、永井尚志は、徳川慶喜による大政奉還の下書きをしたことでも有名な人物です。陣屋内は、四季折々にユキヤナギ、スイセン、バラ、花菖蒲、あじさい、ユリ、はぎ、紅葉、椿などが折々に美しく咲きほこる花園の里でもあります。