松平氏遺跡

寄進者の德川恒孝氏は按針祭にもご出席されました  
産湯の井戸
  この井戸は在原信盛が掘ったと言われ、松平家は代々この井戸の水を産湯に用いました。 岡崎城主松平広忠の子、竹千代 (後の家康) が誕生した際、この水を竹筒に入れ早馬で届けたと言われます。

見初めの井戸
松平東照宮前の歩道脇に、一本の「笠掛け楓」の木があります。この楓は、その昔、やがてこの地の当主となる「徳阿弥(とくあみ)」が高月院を訪ねてこの地を訪れ、このかえでの木に笠を掛けてひと休みしていました。そこへ当時の当主在原家の次女「水姫(すいひめ)」が、井戸の水を汲み、アヤメの花を一輪添えて徳阿弥に差し出したのが二人の出会いでした。やがて二人は結ばれ、徳阿弥陀はこの地の初代松平家当主・松平親氏(ちかうじ)となりました。以後、この井戸のご縁によって多くの男女が結ばれたと伝えられています。