慶雲館 

慶雲館
  明治20年(1887)明治天皇行在所(一時的な滞在に使用する施設)として実業家の浅見又蔵により建設された。館名は当時の総理大臣であった伊藤博文が命名したとされている。本庭の池泉回遊式庭園は名匠7代目小川治兵衛の代表作であるとともに、近代日本庭園の傑作の一つとして名高い。
  京都で行われた孝明天皇御式年祭(20年祭)のため明治天皇が行幸した前年の明治19年(1886)長浜の実業家で当時は太湖汽船頭取を務めていた浅見が行幸計画を知ったさい、長浜で自社航路から鉄道へ乗り換える時間に滞留する適当な施設がなかったことから急遽、自らが所有する大通寺別殿跡地に行在所を私費で建設した。工事は同年11月3日から急遽開始され、竣工したのは行幸当日の明治20年(1887)2月21日朝であったが、明治天皇・昭憲皇太后夫妻が京都を発った当日朝の時点では建設工事の後かたづけも終わっていなかったという。夫妻は同日13時前に長浜港に到着し、同館で昼食および休憩をとったあと13時45分発の列車で名古屋へ向かった。(長浜観光協会)

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