天保山公園 

   江戸幕府5代将軍徳川綱吉が命じた安治川の運河浚渫工事で排出された土砂を積みあげた時にできた小山が当時の年号に由来し天保山と名付けられました。運河は大阪湾から市中に入る重要な航路となり、天保山は夜間航行の目印として高灯籠も設置され、大阪に入る船舶の入港の目印ともなりました。その後、桜などの植樹もなされ、大阪の町人が集まる観光名所となりました。歌川広重による天保山で舟遊びに興じる人々を描いた版画も残されています。当時の標高は10間(約18メートル)もあり、六甲の山並み、淡路島などを見ることができたそうです。安政元年(1854)にロシア帝国の軍艦ディアナ号が大坂沖に姿を見せました。艦長エフィム・プチャーチンは威圧的な態度で親善通商条約の締結交渉を要求したため、当時の大坂城代土屋寅直は近隣の各藩に命じて警護を固めさせると同時に河口を守る砲台を天保山に建設させました。そのために山土石の削取が行われ、結果、西洋式の城塞ができ上がりました。しかし一度も実戦には使用されず、明治以降に廃棄されて、跡地には洋風レンガ造りの灯台が設置されました。砲台も建てられ、沢山の土砂が掘削・採取したため、明治時代には10m以下になっていました。山頂そのものは園内に埋もれる形になっていますが、天保山山頂の標識は掲げられています。すぐ隣には明治天皇が明治元年4月、軍艦電流丸・万里丸・千歳丸・三邦丸・華陽丸・万年丸の六隻とフランス艦1隻で日本初の観艦式を行った行幸記念碑が立っています。高度経済成長後、地下水のくみ上げで天保山周辺は地盤沈下が起こり、昭和52年には4.7mまで低くくなり、今日では標高4.5mとなり天保山は日本一低い山として有名になっています。
 直径100メートル、高さ112.5メートルという、世界最大級の観覧車。 頻繁に来航する欧州からの豪華客船。
この船は天保山から30分毎に出港して、対岸の桜島へ行ける。しかも無料で自転車も同乗可。この船でユニバーサルスタジオに行く人は多い

                                                                                                                                                     つづく