北野天満宮 

  北野天満宮は、菅原道真(菅公)を御祭神として祀る全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社です。古来より「北野の天神さま」と親しまれ、入試合格、学業成就や厄除けのご利益があるとされ、多くの参拝客で賑わい、信仰されています。道真は、幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど、優れた才能の持ち主でした。学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮して、昌泰2年(899)右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括しました。ところが、時平の策謀によって、昌泰4年(901)大宰権帥 という役職を命じられ、九州に左遷されました。そして、その2年後、大宰府の配所にて逝去しました。その後、天暦元年(947)村上天皇の代に御神託が下り、平安京の天門(北西)にあたる北野の地に菅公を祀る神社が創建されました。時代が下った天正年間には、関白豊臣秀吉が境内一帯の北野松原で北野大茶湯を催し、慶長年間には出雲阿国が京において初めて歌舞伎踊りを演じるなど、北野は日本文化発信の中心地として強く意識され、文化芸能の神社としても仰がれてきました。江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に菅公を描いた「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られ、これがのちに「学問の神さま」「芸能の神さま」として人々に広く知られるようになった由縁です。また、当社では菅公の御生誕日である6月25日と亡なったた2月25日に因んで、毎月25日「天神さんの日」として縁日が開かれ、境内には露天が立ち並び、およそ350基の石燈籠と250基の釣燈籠には明かりが灯されライトアップされて境内は幻想的な雰囲気に包まれます。
 御本殿(国宝)は、豊臣秀頼公が慶長12年(1607)に造営されたもので八棟造と称し、
神社建築の主流である権現造の原型となった桃山建築の代表的遺構です。
 

                                                                                                                                                     つづく