許麻神社と寺内町界隈

許麻神社(こまじんじゃ)のある寺内町は「顕証寺」を中心とする土居と環濠で囲まれた真宗門徒による自治区である。寺内町には、当寺の治安上、土居に設置された6か所の門からしか入ることができないようになっています。。6つの門にはそれぞれに地蔵尊が祀られていたという。現在も水路になっている環濠跡など、当時をしのばせる構造物が多く残されており、歴史に触れることができる町として親しまれています。許麻神社の境内には、廃仏毀釈で廃寺となった寺院の鐘楼を移築して手水舎に活用されたり、大楠の御神木が境内中央に聳え立っていて「癒やしのパワー」の御利益にも恵まれます。金毘羅宮、合祀殿、八幡宮、厳島神社などの境内社もあり、様々な神様にお願い事ができるありがたい神社なのです。
 許麻神社の思い出
  いまから40余年前の夏、この神社にやって来たことがあります。当時、わたしは電器メーカーの大阪支店に勤務していたのですが、この寺内町にあった電器店(現在はない)を訪問していました。
辺りも暗くなった頃、電器店を辞して帰社するとき、店の主人に誘われて、祭の囃子や太鼓の音が聞こえる近くの許麻神社に行きました。そこでは、老若男女問わず、輪になって「えんやらよーよ よいこっしょ」と声を上げて河内音頭の盆踊りを楽しんでいました。私の育った川崎でも、毎年夏、盆踊りは行われていて小学校のころは毎年楽しみにして出掛けました。しかし、ここ河内の盆踊りは、川崎のものとは、何かが違うと思いました。川崎では、曲目が「炭鉱節」「真室川音頭」「東京音頭」など、地元には縁のない地方の曲目なので、何か違和感を感じていました。しかし、ここには、河内に住む人々が、郷土を愛し、郷土の文化を誇りにして舞っている美しい姿があり、強烈に印象づけられました。以来、わたしは河内音頭ファンになりました。今回、この許麻神社を再び、訪れて、囃子や音頭はないですが、境内を眺めながら、むかしの印象に残る風景を思い出しました。
 浅野家住宅: 平成16年11月に、主屋、乾蔵、巽蔵、東納屋、南納屋が国登録有形文化財になりました。主屋は、嘉永元年の祈祷札が発見され、乾蔵とともに、江戸時代末期の建築です。当時の建築様式を良く保っており、久宝寺寺内町で最も古い町家の一つとして、貴重なものです。また、5棟の建造物全体が、寺内町の屋敷景観を良く残しています。(八尾市教育委員会)】

高田家住宅:高田家は、江戸時代には油屋と号し、久宝寺村の庄屋を務めてきたため、村に関する貴重な文書等が多数伝わっています。 顕証寺(けんしょうじ)に通じる東西の通りに面する主屋(おもや)は、屋敷構えを出格子(でこうし)と虫籠窓(むしごまど)で整え、瓦葺きの米蔵は屋敷の東側に建てられています。本住宅の周囲は碁盤目状の町割りがみられ、寺内町の歴史的な景観を残す貴重な建物で
 安井道頓
 天文2年(1533)誕生。出自については河内国渋川郡久宝寺の安井氏と摂津国住吉郡平野郷の成安氏の2説がある。天正10年(1582)頃、豊臣秀吉から大坂城の外壕を掘削した功労および猫間川河岸整備に対する賞として、城南の地を拝領した。慶長17年(1612)、城南の開発には河川の掘削が必要と考えた道頓は、豊臣氏の許可を受け、私財を投じて城南地域中心部の水路(後の道頓堀)の掘削に着手しました。掘削中の元和元年(1615)、大坂夏の陣に巻き込まれ、秀吉の遺児・豊臣秀頼に味方して入城、大坂城内で討死しました。なお、水路の掘削は、道頓の死後、松平忠明の許可を受けて道頓の従兄弟の安井九兵衛(道卜)や平野郷の坂上氏の一族の安藤藤次らが跡を継ぎ、同年11月に完成させました。
 長宗我部物見の松
 德川幕府が豊臣家を滅ぼした大阪の戦は慶長19年(1614)の冬の陣と慶長20年(1615)の夏の陣からなり、夏の陣における八尾・若江の戦いでは、大阪方の木村重成、長宗我部盛親の軍勢と德川方の藤堂高虎、井伊直孝の軍勢が激しい戦いを繰り広げた。久宝寺や八尾、萱振では長宗我部盛親と藤堂高虎の軍勢が対峙し、長宗我部軍が優勢であったが、若江において木村重成の軍が敗れた事によって、大阪城に退いた。この戦いで久宝寺に陣を張った長宗我部軍が天高く伸びる老い松に昇り、八尾にいた藤堂軍の動勢を探ったと伝えられており、その老松はこの地にあった松と言われている。
 8月30日(火) の散策は、日が明るい時間でしたが、許麻神社、寺内町を巡ってお開きとし、近鉄線久宝寺口駅に向い鶴橋駅からJRに乗換えて、新大阪から新幹線で名古屋駅に移動しました。名古屋駅周辺歩きは、10年振りで、駅前には高層ビルが、あちこちに建ち並んでいて、めまぐるしく変貌した景色に驚かされました。駅周辺では何処に行くとも決めず、気の向くままに徘徊して、時を過ごしました。かって、出張で来たときに入ったレストランや珈琲パーラーなどを探したが見つからなかった。
しかし、明るく、健康的になった街の姿を眺めながらの散歩は楽しく、日没時になるまで過ごしました。懐かしき味噌かつの夕食を取ってから駅近くにある宿泊先のホテルに向いました。ホテルは、フランスのビジネスホテルチェーンらしく、カウンターに、若いフランス女性がいるのに、驚いたやら、嬉しいやらでした。(笑)


       





                                                                                                                                                      * 写真は一部、web上から拝用させていただいています