大念仏寺
大念仏寺(だいねんぶつじ)
 融通念仏宗の総本山の寺院。山号は大源山本尊は十一尊天得如来(絵像)。創建は大治2年(1127)とされ、日本最初の念仏道場です。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像のことである。比叡山延暦寺の天台宗僧・良忍が、大治2年(1127)に鳥羽上皇の勅願により開創しました。摂津国平野庄の領主・平野殿・坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身となっています。第6世・良鎮が寿永元年(1182)に亡くなると、大念仏寺の流派では良い後継者に恵まれず寺勢は振るわなくなりました。それでも、融通念仏の教え自体は嵯峨清凉寺花園法金剛院壬生地蔵院などで盛んに唱えられていました。
 元亨元年(1321)、139年ぶりに第7世として法明が就き大念仏宗(融通念仏宗)を再興すると、大和国當麻寺で行われていた練供養を基にした万部おねりを行い始めました。元和元年(1615)、平野庄代官の末吉孫左衛門より寺地を寄進され、これまで寺地が一定していなかった大念仏寺がこれによって現在地に堂社を構えることとなりました。
慶安2年(1649)融通五派の一つであった京都大原来迎院の大原南坊「大念仏寺は大原南坊の末寺である」と言い出す事件が起きました。しかし、大念仏寺は江戸幕府の寺社奉行に大原南坊を訴えを起こしました。結果、文元年(1661)勝訴することが出来ました。第43世・舜空は信者の寄進を受けて大堂を建立しました。元禄年間(1688 - 1704)には、第46世・大通が諸堂を再建するとともに法儀の用具を完備して、元禄16年(1703)大念仏宗の名称を融通念仏宗に改めました。以後、大念仏寺は融通念仏宗の本山として現在に至っています。境内地は24,000m2(約7300坪)、30余りの堂宇があり、本堂は大阪府下最大の木造建築物です
 山門:融通無碍門とも呼ばれる。宝永3年(1706)再建。
扁額:「大源山」は後西天皇皇女・宝鏡寺宮徳厳尼の筆
 


       





                                                                                                                                                      * 写真は一部、web上から拝用させていただいています