杭全神社
 杭全神社 (くまたじんじゃ)
  貞観4年(862)、征夷大将軍坂上田村麻呂の孫で、この地に荘園を有していた坂上当道が牛頭天王(素盞嗚尊)を勧請し、現在の第一本殿である祇園社を創建したのが最初と伝えられています。従って、創建は1150年になる古社です。 建久元年(1190)には現在の第三本殿である熊野證誠権現を建立し、元亨元年(1321)には、現在の第二本殿となる熊野三所権現を建立して諸殿を修復し、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の勅額を賜って、当社を熊野権現の総社に改めています。明治時代になると神仏分離令によって仏教関係のものは、別当寺であった長宝寺に移されました。そして、平野熊野三所権現から杭全神社に改名されました。明治5年(1872)に郷社となり、昭和5年(1930)に府社に昇格しました。そして、当社には、日本で唯一連歌所が残されています。連歌会は明治以降廃れていましたが、昭和62年(1987)に復活され、現在、毎月定期的に平野法楽連歌会が催されています。初代の連歌所は室町時代に建てられたが、大坂冬の陣の兵火で焼失しています。平成11年(1999)からはインターネット連歌が始まっています。境内の南は杭全公園、北は新杭全公園となっており、東は平野郷を囲んでいた環濠の一部が残っています。杭全は難読ですが、「他の土地と区別するため、境界に、くい(杭)をすべて(全て)打った」という意と「朝鮮半島の百済からの渡来人が多く住んでいたことから、(くだら)がなまって(くまた)になったとも言われています。


       





                                                                                                                                                      * 写真は一部、web上から拝用させていただいています