高山寺
栂尾山高山寺 石水院 (とがのおさん こうざんじ せきすいいん)
  高山寺は建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇の勅願により、この地を賜り、華厳宗の道場として中興開山した寺院である。草創以来、皇族、公卿、武士の要人たちの庇護のもと、学問寺として興隆しました。寺宝は国宝、重文約12000点が伝わり、1994年世界文化遺産に登録されています。石水院は明恵上人時代の唯一の遺構であり、上人が後鳥羽上皇から学問所として賜ったもので、簡素な佇まいの寝殿造り風の住宅建築です。西正面は、かって春日明神・住吉明神の拝殿であったところで現在、善財童子像が置かれています。欄間の木額「石水院」は富岡鉄斎の筆によるものです。また、勅額「日出先照高山之寺」は後鳥羽上皇の直筆によるものです。
【鳥獣戯画】
諸堂
金堂
  かつての本堂の位置に立つ。桁行3間、梁間3間の一重入母屋造、銅板葺。承久元年(1219)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)5間4面の堂宇で、運慶作の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが置かれたという。その本堂は室町時代に焼失し、現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624〜44)に御室仁和寺真光院から古御堂を移築したものである。釈如来像を本尊とする