薬師寺
  今からおよそ1300年前の白鳳時代、天武天皇が皇后・鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこー持統天皇)の病気平癒を祈って発願され、持統天皇が即位してから藤原京に造営されました。その後平城遷都に伴い、養老2年(718)に現在地に移されました。中央に本尊・薬師三尊像をまつる金堂、東西に2基の塔を配する日本初の伽藍配置は「薬師寺式伽藍配置」と呼ばれています。その大きな特徴は、堂塔の各層に裳階(もこし)をつけた壮麗な姿の「龍宮造り」でした。

しかしその華麗な堂塔は度々の火災にあって次々と焼失し、創建当時から現存する建造物は東塔(三重塔)のみとなりました。その後、長年のお写経勧進により、1976年に金堂が、1981年には西塔が、その後中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍などが復原造営され、2003年には大講堂が落慶、2017年には食堂(じきどう)も再建、創建当時の壮麗な白鳳伽藍が鮮やかに復興されました。1998年、法相宗大本山 薬師寺は「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。
近年では、国宝・東塔の12年に及ぶ全面解体修理が行われ、2021年2月に竣工。「凍れる音楽」という愛称で親しまれる美しい姿に蘇りました。薬師寺は、白鳳伽藍とともに国宝・薬師三尊像をはじめとする多くの文化財を継承し、1300年続く祈りを今も伝えています。
白鳳伽藍
裳階(もこし)
  寺院建築で建物外部の軒下に回した庇(ひさし)で、本屋の軸部を裳裾(もすそ)のように隠すことからこの名がある。外見的には重層建築と類似するが、四方差し掛けなので構造的にはまったく異なる。最古の例には飛鳥(あすか)時代の法隆寺金堂の初重にあり、薬師寺の両塔では各重に裳階がついているので六層に見えるのである。本屋に比べ構造・形式を簡略にするのが普通で、太い丸柱の軸部を覆って細い角柱とすることなどで、建物の外観を繊細にみせる効果があり、禅宗様の仏殿や法堂でも多用された 
玄奘三蔵院伽藍
大唐西域壁画殿


       



                                                                                                                                            * 写真は一部、web上から拝用させていただいています