先斗町界隈
 現在の先斗(ぽんと)町界隈はもともとは鴨川の州で、江戸時代初期の寛文10年(1670)に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていました。この地に水茶屋が初めて設けられたのは正徳二年(1712)の頃といわれ、 初めは高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が茶立女(ちゃたておんな)を置いていました。安政6年(1859)になって芸者嫁業の公許が下り、花街としての花を開かせました。明治5年(1872)には第1回京都博覧会の観光客誘致の一助として「鴨川をどり」が初演されて以来、先斗町は祇園と並ぶ花街として有名になりました。舞踊の流派は明治より以前は篠塚流、その後若柳流を経て現在は尾上流が主流になっています。また、伝承では幕末に勤皇と佐幕に分かれて抗争した志士たちが、追われてこの先斗町に身を潜めたり待ち伏せしたりした言い伝えが遺されています。
 
 
 6 月 1日(火)  
歩数           30,046
 歩行距離   17.1 km