実相院
実相院は鎌倉時代の寛喜元年(1229)、静基僧正により開基されました。当初は紫野にありましたが、応仁の乱のとき被災を逃れるため文明6年(1474)、園城寺の別院・大雲寺に隣接する現在地に移転しました。しかし室町時代末期までには多くの堂舎が戦火で焼失しました。江戸時代初期に足利義昭の孫、義尊(ぎそん)が実相院門主として入寺しました。義尊は古典、学問に精通し、後陽成天皇の信任を受け、失われた古文書、古記録を熱心に書写したことにより、結果、重要なものが多く残されました。義尊が天皇に寵愛を受けたことで、弟・常尊や従兄弟・道晃親王たちも宮廷生活において、その文化的地位が向上し、朝廷が有する寺院の門主となるなど義尊を取り巻く基礎は一層確かなものとなっていきました。こういった関係で実相院は皇室との関係が深く、また第三代将軍徳川家光の援助を受け、以後当院の代々の住職は皇室と繋がりのある人物が務めました。本堂は東山天皇の中宮、承秋門院の女院御所を移築したもので、四脚門・車寄せも御所より移築されたものである。幕末には岩倉具視も一時ここに住んでおり、当時の密談の記録などが残されています。
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