五条大橋界隈
【 恵比寿神社 】
 恵比寿神社は、平安末期、栄西禅師が宋からの帰国の折、暴風雨に遭ったとき、栄西が海上に向い鎮守を願って祈ったところ、海上から恵比寿神が現れことなきを得たことから帰国後、建仁寺の創建にあたり、恵比寿鎮守社を建立したのがはじまりと云われています。都七福神の一つで、商売繁盛、交通安全、航海安全の神とされます。例年1月の「初えびす」、10月の「えびす講」には多くの参詣者で賑わいます。境内には太田垣蓮月の歌碑があります。
【  宮川町歌舞練場  】
  京都では、例年伎芸を学んだ芸舞妓たちの舞踊の御披露公演が開催されます。その会場が歌舞練場というところで、それぞれ主だった花街にあります。祇園にあるのは祇園甲部歌舞練場「都おどり」、先斗町には先斗町歌舞練場で「鴨川おどり」、上七軒には上七軒歌舞練場で「北野おどり」、そして宮川町には宮川町歌舞練場を会場として「京おどり」が開催されます。
【 扇塚 】
扇塚
 天長元年(824)第52代・嵯峨天皇の后・
檀林皇后が開基し、空海が開山した新善光寺が創建されました。長野の「善光寺」を模した本尊を安置し、通称「御影堂」「五条御影堂」とも呼ばれていたそうで、今日にも御影堂町、御影堂前町の地名が残っています。新善光寺(御影堂)」と扇の接点は平安時代、「平敦盛」の室が、17歳という若さで「一ノ谷の戦い」において亡くなった夫の菩提を弔うために、蓮華院尼と称して五条西詰にあった平時宗御影堂に出家し、寺の僧たちと共に扇子を作った事に始まったと云われています。扇は「阿古女扇(あこめおうぎ)」と呼ばれ、女性が正装の際に手に持つ扇だったそうです。この由緒により、この地がのちに扇の名産地として広く海外にも知れるようになったのです。
【 牛若丸・弁慶像 】 
唱歌:牛若丸

♪    京の五条の橋の上  大のおとこの弁慶は
長い薙刀(なぎなた)ふりあげて  牛若めがけて切りかかる

♪  牛若丸は飛び退いて   持った扇を投げつけて
来い来い来いと欄干の  上へあがって手を叩く

♪   前やうしろや右左   ここと思えばまたあちら
燕のような早業に    鬼の弁慶あやまった
 
 ~伝説! 牛若丸と弁慶の出会い
 乱暴者の弁慶は、千本の太刀を奪おうという悲願を立て、道行く人を襲っては太刀を奪い取り999本までになった。
そして、あと一本というところで、五条大橋を笛を吹きながら通る牛若丸と出会う。弁慶は牛若丸に襲いかかるが、
牛若丸は欄干を飛び交い、最後は返り討ちに遭ってしまう。降参した弁慶は、その後牛若丸の家来になったという。

「五条通」の鴨川に架けられた「五条大橋」は、平安時代末に牛若丸(源義経)と弁慶が出会ったという
伝説で知られる橋。   ただ・・・、現在の「五条通」は当時の「六条坊門小路」に当たり、平安時代の
五条通(五条大路)は、清水寺から清水坂を下り鴨川を渡って松原通へとつながる道だったという。
したがって、牛若丸と弁慶が出会ったのは現在の「松原橋」ということになる。