亀山城趾
5月30日(日) 山陰本線丹波口駅を、8時に乗車して、景勝地嵐山駅を過ぎるとトンネルに入ったが、数分で抜けると、何と眼下に保津川の渓谷を望めるではないか!素晴らしい。しかし、10数秒で、またトンネル。そして抜けるとまた、眼下に渓谷。風景を楽しむ余裕もなく、これを数回繰り返して進むと、丹波口駅から20数分で亀岡駅に着きました。思ったより近い。周囲を小高い山囲まれた盆地にある町のようで、一見して綠に囲まれた清潔な印象である。駅中の観光協会に聞いて、貸し自転車を借りて、本日はサイクリングで亀岡市の史蹟散策を行うことにしました。
【 亀山城趾  】
明智光秀と亀岡
 
 ”時は今、あめが下知る 五月かな ”

  戦国時代末期、国人衆が割拠していた中世丹波国を平穏に治めたのが明智光秀でした。
 光秀は丹波国を治めるにあたり、その拠点として、亀山台地に天正5年(1577)堅固な城郭を築きました。
 この事は光秀公書状に「亀山惣堀普請」と認められています。明智光秀の像は亀山城趾と南郷池を望む、
 光秀ゆかりのこの地に建てられました。また、江戸時代まで地名は亀山でしたが、明治に入ってから亀岡に
 改名されました。 また、城趾の宗教法人 大本(おおもと)が購入してから、おおもとが城郭、石垣などの整備
  を行ったので、当初の縄張りは古地図の残されているだけと云う。しかし、一介の法人が所有していながら、
  城内への散策は許されており、家族連れの散歩には恰好の憩いの場である。
【 大本教関係施設 】 
万祥殿(ばんしょうでん). 第三代教主 出口直日の指示で建てられた神殿です
  「 四大主義 】              【 四大綱領

清潔主義 心身修祓の大道      一、祭 惟神の大道
楽天主義 天地唯神の大道      一、教 天授の真理
進展主義 社会改善の大道      一、慣 天人道の常
統一主義 上下一致の大道       一、造 適宜の事務

清潔、楽天、進展、統一の四項目からなる四大主義は、天国天人が実践している生活そのものと説き、地上天国を建設していくことが人生の目的であると教示され、この四大主義の実践に努めて、人として生を受け、その使命を果たしていくことが最も大切と説く。
(小冊子より)