2020年 5月28日(火)
  本日、早朝 6時頃に新幹線新横浜駅を出発して、9時30分頃に京都駅へ着いた。駅前にあるバスターミナルに向かい西本願寺前まで、数分で到着。道路はクルマの数が少なく、西本願寺境内も人はまばらで、本堂内部にも人影は数人しか見られない。これから先、自分に取っては快適な散策が出来る予感を感じて、これから5日間の「京都散歩」がスタートした。天気快晴、気分上々である。
西本願寺
 西本願寺
 西本願寺は、龍谷山と号し、浄土真宗本願寺派の大本山です。その寺地は広大で、東西330m、南北290mに及び、正面は堀川が濠の役割をして、水を湛えています。桃山文化を代表する建造物や庭園を今日まで残しています。本願寺は、親鸞の死後、末女・覚信尼が、文永9年(1272)東山の大谷に廟堂を建てたことに始まる。教団の勢力は15世紀後期に本願寺中興の祖といわれる8世蓮如により強大となったが、天文元年(1532)山科本願寺が対立する日蓮宗徒に堂宇を焼かれたため、10世証如は大阪石山に移った。11世顕如のときに、織田信長に対して顕如と三男の准如は和睦を主張し、長男の教如は徹底抗戦を主張し、激しく対立しました。最終的には顕如と准如とが和睦を決め、石山本願寺を明け渡して共に和歌山の鷺森別院に移転したのです。信長死後の、天正11年(1591)豊臣秀吉から京都・堀川に寺地を寄進され、12世准如が造営に当たりました。その後、コ川家康のときに、長男教如が率いた東本願寺が分立するものの、今日まで400年間常に仏教界の指導的立場を維持してきた。西本願寺は元治元年(1864)の禁門の変、慶応4年(1868)の戊辰戦争の動乱による被災を被ることなく、国宝、重要文化財の堂宇は残されて、今日に至っている。