2020年 5月28日(火)  その 2
 本能寺跡
本能寺跡
  天正10(1582)6月2日、織田信長が明智光秀に襲われ自害・焼失した本能寺は現在地の寺町御池ではなく、堀川四条の近くにあり寺域は東西150m、南北300m程あった。本能寺の変後、同地に再建されることになっていたが、豊臣秀吉の命で現在地に再建された。元本能寺跡地には、当初本能小学校が建てられ現在は、府立堀川高校が建てられている。本能寺の所在は、長い間確証されていなかったが、平成19年(2007)に行われたマンション建設に先立つ発掘調査で、本能寺堀と石垣の跡が認められ、その周辺の西洞院蛸薬師の北西角には南限の幌跡も発見され、本能寺跡が認定された。