その2  
住吉大社
 ● 松尾芭蕉句碑
   「升買て 分別かはる 月見かな」と刻まれた、俳人・松尾芭蕉の句碑。芭蕉は元禄7年(1694)9月、大坂で派閥争いをしていた2人の門人を仲裁するために故郷伊賀上野から奈良を過ぎて暗い峠を越えて大阪に入った。13日に、住吉大社の宝の市神事へ参拝し、参道で売っていた升を買った。折から体調が悪かった芭蕉はその夜、招かれていた月見の句会には出席せず宿へ帰った。その翌日の句席で「升買て......」と詠み、「自分もついつい一合升を買ってしまった。すると気分が変わって月見より宿に帰って早く寝た方が良いような気がした」と、洒落っ気を利かして、前日の非礼を詫びたという。その後、芭蕉は発熱下痢を伴い、大坂の花屋仁右衛門方離れ座敷に病臥していたが、10月12日夕方、51歳の生涯を閉じた。

●川端康成文学碑
 川端康成文学碑には「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました。」という川端康成の作品「反橋(そりばし)」の一節が本人の自署とともに記されている。緊張の中にゆれる生と死の世界を詩的に結晶させた作品で知られる日本初のノーベル文学賞作家・川端康成(1899-1972)は、大阪天満宮の南向かいの料亭の一角にあった生家で3歳まで過ごした後、両親と相次いで死別。それからは茨木市の祖父母の家で育てられるが、祖母、姉を続けて亡くし、16歳になるまで祖父と二人暮らしであった。死ぬ直前の祖父とのやり取りは、「16歳の日記」で克明に描かれている。以降は、上京して「伊豆の踊り子」や「雪国」などの名作を次々に発表、作家として大成するが、故郷の大阪を舞台にした作品は、昭和23年(1948)の「反橋」や24年(1949)の「住吉」で住吉大社が描かれている。