その3  
帝塚山
    住吉大社の近くに「住吉小学校」「住吉中学校」があると聞き、わたしが学んだ学校と同じ名前に興味を感じ、訪ねてみた。生憎の休校日で校内に入ることはできなかったが、少年期を思い出し、しばし当時を思い出した。しかし、わたしは60年近く母校を訪れていない。一度行ってみなければ・・・・。
 帝塚山古墳
帝塚山古墳は一つだけだが、明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。5世紀ごろの大伴氏の系図は錯綜し実態が把握できないが、4世紀末の大伴氏の人物として大伴武以が見える。大帝塚の方は、現在の帝塚山学院の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している。前方後円墳。
 帝塚山学院
  1916年に設立された財団法人帝塚山学院を母体とし、1966年に大阪市住吉区の帝塚山に開学した。創立以来、大阪屈指のお嬢様大学として知られていた女子大学であったが、2003年から人間文化学部(現・人間科学部)が男女共学化され、2007年からは
全学的に男女共学となっている。 通称は「帝塚(てづか)」。建学以来の教育目標である「力の人の育成」をアドミッションポリシーとし、
将来リーダーとして活躍できる力を身に付けられるよう教育を行っています。
 万代池公園
  池の周囲は約700メートル。歴史ははっきりしないが、上町台地の浸食した谷をせき止めて作られたといわれている。「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めた」という言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと伝えられている。明治時代までは灌漑池として利用されていた。万代池公園のサクラは、近隣では花見の名所として知られてい多くの人でにぎわうそうだ。
そのシーンを思い浮かべて、しばし休息。
  きょうは晴天で暑いくらいだ。池の畔で昼食を取り、十分休憩してから、池を半周。 静かで、清潔で、豊かさを味わった町から、公園の近くを走る阪堺線に飛び乗って天王寺に向かった。