その4  
永観堂 (禅林寺)
永観堂の正式名称は、聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺という。本尊(国・重文)みかえり阿弥陀像で伝説がある。
東大寺開創供養の時一老翁が捧げた阿弥陀像を宮中で祀りになっていたが、やがて東大寺に下賜された『東大寺要録』。 この阿弥陀如来像は東大寺宝蔵に秘蔵されていたのだが、たまたま永観はその尊像を拝する機会があり、尊像の奥深いところから呼びかける声を聞いた。永観は、「衆生済度こそ、この仏の本願であり宝蔵にしまっておくのはもったいない」と嘆いた。これが白河法皇の耳に入り、永観が護持し供養することとなった。後年、永観が東大寺別当職を辞して尊像を背負って京に入る際、東大寺の僧がそれを取り戻そうと追いかけて京都の木幡まできたところ、尊像は永観の背に取り付いて離れず、僧たちはあきらめたと言い伝えられている。 永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、 「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。
「みかえり阿弥陀」として知られる永観堂禅林寺の本尊像。全体に穏健な平安時代後期の作風を示すが、ひきしまった面相や、適度に装飾的な衣文などから、慶派などとは異なる系統の鎌倉時代の京都の仏師による作であると考えられている。特殊な姿勢を破綻なくまとめ、静から動への一瞬を見事に捉えており、作者の技量の高さが見てとれる。みな人を渡さんと思うこそ心こそ極楽にゆくしるべなりけれ
三門 本堂 (御影堂)