その2  
 冷泉家邸
  冷泉家は和歌を家職にした一族で、小倉百人一首の選者の藤原定家の子、藤原北家御子左家の流れを汲む公家・冷泉為相が始まりと言われている。京都御苑の北隣にある冷泉家では、定家の日記で国宝の「明月記」「新古今和歌集」など、宮廷文化を今に伝えるお宝を多く所有し、歌道の宗匠家の内の一つで冷泉流歌道を伝承している。現当主・冷泉為人氏によると「明治2年、天皇が京都御所から東京に移り住んでしまったことで、ほとんどの公家たちも東京へ引っ越してしまった。冷泉家は当時、公家の「中ほどの格」だったことから京都御所の留守居役を仰せつかって、この場所に残れた」「もし、天皇のお供をして東京に行っていたら、今日、宝物や歌道の伝承を残せたかどうか分からない」と語っている。
 旧薩摩藩邸・現同志社大学今出川キャンパス
 花の御所・ 大聖寺