新島襄はキリスト教主義に基づく同志社大学の設立を企図して、東奔西走する途中、病で倒れ療養していた大磯・百足屋旅館で死去した。47歳。
  左:鴫立庵の解説、  右:「芭蕉翁四時遺章」として春夏秋冬の句が1くづつ書かれている。安永九年(1780)建立。