鎌倉街道上道 その2    鶴川 ~ 町田 2016.07.23 
小田急線鶴川駅下車、徒歩10分ほどにある「自由民権資料館」から、本日の「鎌倉街道上道その2」散策を開始しました。
 
   自由民権運動の三多摩壮士・村野常右衛門は江戸時代末期に野津田村の名主として村をまとめる役の家に生まれました。家業は農業と質屋そして屋敷内を流れていた鶴見川を利用して水車業を営んでいました。周囲から「至誠の人」とか「高潔の人」と評され、誠実で私欲のためには動かない人として尊敬されていました。弁舌は上手ではなく寡黙であるが、決断力と人をまとめる力があり人望が篤かった。村野は自分の土地に私財で「厳しい霜を凌(しの)いで進む」という名前をつけた凌霜館(りょうそうかん)という若き民権家たちを育てる道場を建設して、若きを自由民権運動家の育成に奮励しました。この道場で、地元の若者たちに剣術を身につけさせ、政治を学ばせたのでした。
薬師池公園
薬師堂
鎌倉街道
町田ダリア園
菅原神社
菅原神社
   菅原神社は学芸の神として広く知られる菅原道真を主祭神としてお祀りしています。古くより原町田の町田天満宮、南大谷の天神社とともに町田三天神の一社として町田市及び周辺の多くの人々から崇敬されています。
   また、当神社は都旧跡「井手の沢古戦場」に建っています。十二世紀末鎌倉に幕府が設置され鎌倉街道が整備されると当地は北関東から鎌倉へ通ずる街道の中でも重要な地点となりました。府中方面からここまでは丘陵地で起伏がありますが、ここから鎌倉までは一気に兵が押し下れるからです。土地の形状から砦の如き城が築かれていたと伝えられています。建武2年(1335)鎌倉幕府再興を図り信州から一路南下した北条時行は、鎌倉から迎撃に出向いた足利尊氏の弟直義の軍をこの地で撃破しました。この勢いで時行は一時鎌倉を占拠しましたが、20日あまりして鎌倉を奪還するために大軍を率いてきた足利尊氏軍に攻め落とされ、滅ぼされました。(中先代の乱)。
絹の道碑