安房国 寺社巡り  一部
 久里浜~金谷 東京湾フェリー
11月14日(土)8:20 久里浜港より乗船した。本日は快晴で東京湾には、ヨットや漁船が数多く出航していた。船上から西を眺めると霊峰富士山の上部に白い笠を被った悠然とした姿が遠くに望めた。この船には、多くのクルマやオートバイの搭乗し、乗客も客室が6割ほど埋まるほど乗船していて、ファミリーのグループも多くいた。しかし、ほぼ全員マスクをしていて、コロナ感染防止の配慮はしていて、習慣的に身につけたマナーが行き届いている日本人の風景を垣間見ることができた。9:05に房総金谷港に到着。本日の散策が気分良く終了できる予感がしました。 出発!!
安房一ノ宮神社
安房一宮神社 
社伝によると2670年以上の昔、天富命(あめのとみのみこと)が阿波の忌部(いんべ)一族を率いて安房国を開拓しに来た際、自分の祖先である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るために建てたのが安房神社であると言われ、その御霊は標高110mの御手洗山中腹に鎮座し、太平洋を一望できるほか、浜鳥居(一の鳥居)から富士山を眺めることができます。現在では、安房全域をはじめ、上総・下総・関東地方の信仰を集めており、交通安全・開運・厄除・家内安全・商売繁昌などを願う人々が訪れます。参道の桜は4月上旬ごろ見頃を迎え、多くの参拝者でにぎわいます。また、毎年8月10日に例大祭が執り行われます。周辺には、安房自然村、館山野鳥の森などがあります。この祭神は伊勢神宮にも祀られていることから、本殿は伊勢神宮と同じ神明造りとなっています。安房国一之宮であり、周辺の人々からは「大神宮」として昔から親しまれてきました。今も昔も安房において非常に神徳の崇い神社です。
住吉寺
 住吉寺
ご詠歌「中嶋へ まいりて沖をながむれば いつもたえせぬ波のあらさよ」
元禄の大震災(1703)で海中の土地が隆起し、現在のような陸地になったので、海からやって来た寺と呼ばれている。観音堂は左手急な石段を登ったところにあり、本尊は行基作と伝えられている。お堂の外陣(げじん)には江戸末期の百観音巡礼奉納額が掲げられている。この高台は古くは海中の岩上にあり、船で参拝したという。海中にあったころは中嶋と称し、その名が残って中嶋観音とよばれている。観音堂の裏側を流れている川までがかつては海岸線だったといわれ、今でも観音堂の下に船を係留したといわれる岩がある。境内には土佐與市(よいち)の記念碑がある。紀州印南(和歌山県印南町)出身の「土佐與市」が、文化10年(1813)頃に南朝夷へ鰹節の製法を伝えたことで、千倉町が「安房節」の発祥となった。本堂左手の洞窟の中に勢至菩薩像(二十三夜尊)がある。これは明治の頃漁師が沖で漁をしていた時に網にかかり奉納したものである。観音堂の向拝には「後藤利兵衛橘義光70歳」の時の彫刻があり、南房総市の指定文化財になっている。
小松寺

創建は奈良時代の養老2年(718)。役小角(えんのおずぬ)が小庵を建てたのが始まりと云われている。その後平安時代の天長8(831)、慈覚大師により改築され、山王権現が併せて祀られました。江戸期に入り、徳川家康や藩主・里見義康らの寄進を受けて、大寺院として修行道場になった。弘法大師の作と伝わる聖観音菩薩像が観音堂に安置されている。当山は房州随一の紅葉の名所として知られている。

安房・国分寺
創建は奈良時代後半頃と推定される。 一般に全国の国分寺は、天平13年(741)の国分寺建立の詔の頃の創建とされる。しかし安房の場合には、養老2年(718)に上総から分立して設置されたものの、天平13年に上総に再併合され、天平勝宝9年(757)に再分立されるという経緯を辿っており、安房国分寺は他国より遅れて創建されたと見られる。安房と同様に併合・分立を経た能登・和泉両国の場合、前者では承和10年(843)に大興寺が能登国分寺に充てられ、後者では承和6年(839)に和泉安楽寺が和泉国分寺に充てられている。安房の場合に安房国分寺の設置記事は見えないが、能登・和泉と同様に、既存の定額寺が安房国分寺に充てられたとする説がある。 なお現国分寺の寺伝では、詔以前の神亀4年(727)、国司に付き従って安房に下向した史生の鹿屋脛代(かのやけいだい)が、行基作の薬師仏を本尊とする堂宇を建立した時を創建と伝える。
  境内図には、観音堂、仁王門を配置し、観音堂には旧清水寺の本尊であった木造千手観音立像が安置されています。この千手観音立像は鎌倉期に造立されたと言われ、榧の一木造りで像高195cmもあります。
諏訪神社
   諏訪神社は、近郷六村の総鎮守として、人々に崇拝されている。
ランチタイム
  次の散策地に向かう頃、ちょうど昼どきとなり、街道に面したところにある、蕎麦屋の入って昼食とした。かなり、人が入っている。人気があるようで、そばはコシがあって、大変美味しかった。斯様な店に出会えると、何か得をした感じがする。屋名は「九重」という名で、千代の富士を連想し、相撲の話をしながら、満足な昼食にありつけたことに感謝!!