安房国 寺社めぐり  二部
 那古寺
那古寺  真言宗

  穏やかな館山湾を臨む那古山に位置し、春には参道に桜が咲き誇り、桜名所としても名高い那古寺。安房国札三十四霊場の打ち始めの第一番札所であると同時に、坂東三十三霊場・第三十三札所の結願寺としても知られています。坂東三十三霊場は観音信仰者であった源頼朝が鎌倉幕府を開く前に各地の豪族に有力な寺を列挙させ、源実朝の時代に成立。鎌倉の杉本寺から始まり那古寺で結願する、約1360キロに及ぶ道程の終点となる寺なのです開山は養老元年(717)。元正天皇が病に伏した折り、行基菩薩が海から得た香木で千手観音菩薩を彫り、平癒を祈願したところ、たちどころに快復。その報謝として建てられたといいます。その後、石橋山の合戦に敗れ当地に逃れた源頼朝が、再興を祈願し七堂伽藍を建立。足利尊氏や里見義実も相次いで信仰を捧げたとのこと。現存の観音堂は江戸時代中期の建築。平成20年に大改修が完了し、盛大に落慶が祝われました。

崖観音 (大福寺)

  切り立つ崖の途中に、張り出すように造られた舞台づくりの大福寺観音堂。鏡ケ浦の湾頭にそびえ立っていることから、通称「崖観音」と呼ばれています。本尊の十一面観世音像は、養老元年(717)、行基菩薩が東国行脚の際、船形山中腹の巌窟に漁民の海上安全と豊漁を祈願して彫刻したもの。背後の崖面に石の厨子を作り、像容を浮き彫りにした磨崖仏で、市の指定文化財となっています。この十一面観世音像は風化が激しいものの、左手に水瓶を持つさまや着衣のひだが確認できます。膝の下に太いひも状のひだを作り、腰の幅を広くしたスタイルは平安時代中頃のもの。断崖の舞台づくりの観音堂ができたのは、江戸時代に起きた元禄地震の復興のときである。正徳5年(1715)に現在のような奇抜なデザインで建てられ、関東大震災で倒壊したのちも、同じように再建されたということです。堂内天井の数十枚の花図は印刷物であるが、それぞれ美しく目を引かれます。そして、観音堂から眺める館山市の市街や大海原の景観は誠にすばらしいものである。

興禅寺
 山門  本堂
興禅寺中興の孝岳禅師の顕彰碑
観音堂 2019年10月 第15号台風で寺院を囲む数十の大木が倒れた