2019年5月31日(金) 千葉散歩は「米と馬の産地、江戸の東を守る要塞・下総佐倉城趾界隈」を選択しました。観光パンフレットには、佐倉の魅力を「徳川譜代大名の城下町と江戸を感じる北総の町並み」と謳っています。どんな町か、その魅力を期待して、最初に訪れたのは「旧堀田邸」。佐倉藩最後の藩主正倫(まさとも)の私邸で、薩摩島津家の仙厳園と並び称される庭園です。建物は純和風建築で母屋・冠木門・離れ屋・土蔵・門番小屋などは国の重要文化財になっているという。ゆっくり見学して、次の「順天堂記念館」に向かいました。ここは天保期、藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が開いた蘭医学の塾兼診療所です。西洋医学による治療と医学教育が行われ、東京の順天堂病院を開設した佐藤尚中(たかなか)をはじめ明治医学界をリードする偉人を輩出したと云う。この地は彼らによって「西の長崎、東の佐倉」と並び称されるほどに蘭学の先進地として名声を高めたと云われています。記念館には当時使用された医療器具などが保存、陳列されています。
昼時になり蕎麦処・川瀬家にて昼食を取りました。午後は、初代佐倉城主土井利勝が創建した「松林寺」、佐藤泰然他順天堂関係者が眠る「宗圓寺」そして、隣接する「甚大寺」に行き、170年間に亘って下総佐倉を治めた「堀田家代々藩主」を墓参して、佐倉藩の総鎮守「麻賀多神社」への参詣に歩みを進めました。麻賀多神社の重厚にして豪奢な社殿は、幕末期幕府老中として活躍した藩主堀田正睦が再建したものという。神社を出て、南に続く下り道を進んで、「くらやみ坂」を上っていくと武家屋敷通りに出ました。この一角は「鏑木小路武家屋敷」と呼ばれ、三軒の武家屋敷が移築保存されていて、興味深い。じっくり見学しました。藩政時代の上、中級武家とは言え、素朴で質素な日常生活を垣間見ることが出来ました。この武家屋敷の一角に
明治期、日露戦争で二百三高地を攻略して日本の勝利に導いた児玉源太郎少将が、陸軍佐倉歩兵第2隊長として、明治13年から明治18年まで、5年間、この地に住んでいたことを知りました。武家屋敷を後にして、佐倉城趾方面に向かう。途中、通り抜けた「ひよどり坂」は竹林が生い茂ったところで水墨画の世界に浸ったような感動を覚え、「まことに良い風景を見た」という実感でした。姥婆ケ池菖蒲園で小休止したのち佐倉城趾に向かいました。城趾には、古城の面影を残す櫓などは取り壊されて影もないが、天守台跡、一の門跡そして出丸跡界隈には、土塁や城と関わりのあった人物像や句碑などが建立されていて城郭ファンには胸に響く感慨が伝わってくる所でした。この先まだまだ、見所は沢山あるのだが、夕刻になったので、ここでお開きとなりました。 (石井義文)
旧堀田邸
旧佐倉順天堂
新町周辺
麻賀多神社 
鏑木小路武家屋敷 
   
之より武家屋敷 河原家・但馬家・武居家の屋敷を見学する
 創建700年の古刹・大和田山大聖書院
 サムライの小径・ひよどり坂
佐倉城趾地区
 
 
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