狸穴坂 と 狸穴公園
 狸穴坂(まみあなざか): 外苑東通りのロシア大使館の西脇から南に下っている長い坂で、
「江戸砂子」にはこの坂について、「むかし此坂に雌狸(まみ)の住ける大なる穴ありとぞ」と
記載されている。
 狸穴公園
  閑静な住宅街の中にある公園です。この公園には彫刻のある街づくり事業に基づいて設置された
「風水の刻」の噴水があり、噴水池の周りに設置されているベンチに腰掛けて一休みしていたり、
読書にふけっている人の姿が見られます。
 赤い靴 「きみちゃん像」
赤い靴

作詞 / 野口雨情 作曲 / 本居長世

赤い靴 はいてた女の子
異人さんに つれられて行っちゃった

横浜の 埠頭から船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった

今では 青い目になっちゃって
異人さんのお国にいるんだろ

赤い靴 見るたびに考える
異人さんに逢うたびに考える

 
 この歌詞に登場する女の子の名は「きみ」ちゃん。実在の女の子です。明治35年7月15日、現在の静岡県清水市で生まれました。母の名は「岩崎かよ」未婚の母でした。父親の名を明かせない私生児ということから世間の風当たりは厳しく、娘ともども開拓団として北海道の函館へ、たどり着いたのです。母「かよ」は函館で出会った鈴木志郎と、留寿都村への入植を決意しました。当時「きみ」ちゃんは3才。しかし、明治時代の北海道開拓は、命がけで、幼い子供を連れて行くことなど考えられませんでした。そこで「かよ」は、当時函館の教会で宣教の働きをしていたアメリカ人宣教師・ヒュエット夫妻の養女として託すことにしました。しかし、ヒュエット夫妻が帰国する事になった時、「きみ」ちゃんは当時不治の病とされていた結核に侵されてしまいます。結核を発病した彼女は、船旅ができずやむなく麻布十番の鳥居坂教会の孤児院(永坂教会孤児院・現在の「十番稲荷神社」のある場所)に預けられてしまいました。そして「きみ」ちゃんは、3年間の闘病生活の末、9才というあまりにも短い生涯を終えたのでした。明治44年9月15日の夜のことでした。
ランチタイム