渋沢栄一像と常盤橋(常磐橋)

 渋沢栄一 (1840-1931)は、日本の実業家、慈善家、教育者、政治家であり、日本資本主義の父と称される人物です。彼は、開国後の日本において、多くの企業や経済団体を設立し、日本の産業革命を推進しました。また、福祉事業、医療事業、実業教育、女子教育、私学教育支援、研究事業支援、国際交流、民間外交など、多岐にわたる社会事業にも尽力しました。彼は、日本の近代化に大きな貢献をした人物の一人であり、その功績は今なお称えられています。
-青淵の由来に関して-
『渋沢栄一伝記資料』にその由来が次のように紹介されています。
青淵と云ふ私の号は、私が十八才頃、藍香先生(尾高惇忠)から付けて貰つた。
当時私の家の主屋裏地に淵があつて、その関係から私の家を淵上小屋と
名付けていた。それから青淵と云ふ号が出来たのである」

なお、栄一がこのように語った当時、すでに「淵」は無く、淵の跡に清水が
沸いていたそうです。 
車が走れる橋が「常盤橋」、歩ける橋が「常磐橋」、従って、江戸時代に出来たのは常磐橋です