井上 勝像

09.鉄道の父・井上勝像

  井上勝は天保14年(1843)長州藩士として萩に生まれる。16歳のとき藩命で江戸に出て沿岸警備に出され、その時、伊藤博文と出会いました。20歳の時、藩命で、伊藤ら人(長州ファイブ山尾庸三・井上馨・遠藤謹助・伊藤博文、井上勝(旧名:野村弥吉)と共に、英国に渡り、ロンドンで鉄道技術、鉱山開発などを学びました。明治元年11月帰国し、鉄道建設に反対する大久保利通黒田長政らの政治家たちを、習得した鉄道知識で熱心に説得し、信頼を得ました。のちに鉄道頭(大臣)に栄転します。明治5年(1872)10月、新橋、横浜間が開通して以降、鉄道敷設は、関西、東北方面に延伸し、ある哲学を基盤にして、飛躍的に全国へ発展していきました。日本の新幹線や高速鉄道の安全・安心な技術は、JR・私鉄を問わず、世界でも一番だと言われています。この背景と歴史には明治の新時代から「安全とは何か」ということに取り組んできた多くの技術者たちの存在があったのです。スピードを上げるために安全を犠牲にしない。また、「乗客に安心感と快適な旅」が常に考えられている。技術は技術として完結してしまってはならず、利用者の側の便宜やサービスもきちんと考えなければいけないという哲学です。この基本的思想を基盤にさせたのが井上勝で、これが彼を鉄道の父と敬称される由縁です
(東京大学名誉教授 山内昌之談)