日本工業倶楽部

  日本工業倶楽部が立つこの地一角には、江戸時代、朝廷からの使者たちが滞在する伝奏屋敷がありました。
そして、ここに隣接する一角に高家・吉良上野介の屋敷がありました。しかし、赤穂藩主・浅野長矩の刃傷事件のち、本所深川に移転しました。その後、近代国家になった大正9年(1920)11月、当時の実業家たちの発案で、「わが国の工業を発展させる」目的として、一般社団法人日本工業倶楽部が創立され、その本部が建てられました。それが建築家・横河民輔が設計した下記写真の建物です。戦後は、このビルの中に当初、経済三団体が入っていましたが現在は、このビル北側にある高層ビルの一角に、経済同友会(代表: サントリー社長 新浪剛史)が入っています。他の2団体は、それぞれ丸の内、大手町の一角のビルに入って活動をしています。