丸の内ビルディング

 

丸ビル側から、東京湾方面を見ると 
 
そして、江戸時代幕末の頃と現在は 
 08 丸ノ内ビルディング (丸ビル)
  丸ビルの地には江戸時代には外様大名でありながら、幕府に信頼を受けていた備前岡山藩池田家の屋敷がありました。 ここに、大正12年(1923)2月、8階建ての「丸ノ内ビルヂング」が建てられました。だが、同年9月に起こった関東大震災で被災し、大きな被害を受けましたが、大正14年(1925)に再建されました。昭和戦前期では「東洋一のビル」といわれ、低層階を一般客に開放し、ショッピングモールなどを展開する形態は人気を博しました。その後、丸ビルは東京駅との間に地下道を設けるなどの、大改修を行ったが、全般的に過密状況が感じられてきたとともに耐震性に対する懸念が高まってきました。  そこで建て替えが決定され、平成14年(2002)9月、地上180m、37階建てビルが竣工しました。これと同時期に、北側の向いには新丸ビルが、江戸城内堀側に隣接する区画には、三菱商事日本郵船が高層ビルを新築するなどの建設ラッシュが始まりました。時同じくして東京駅赤レンガ駅舎も物の見事に新築されました。この高層ビル建設の波は、丸の内、大手町界隈隅々に広がり、2028年には、地上62階建て、高さ日本一のトーチタワーが竣工される予定です。日本を代表する大都市東京の玄関、丸の内界隈の景観は世界に誇れる姿に変貌して行くでしょう。