2014年11月、第24回 お江戸散策は旧吉原・向島界隈を取り上げました。雨天模様のなかでしたが、12名が参加し、鶯谷南口に集合して散策をスタートしました。最初の散策地は、第7回の散策ですでに訪れた真源寺に向かいました。この寺は、「おそれ入谷の鬼子母神」で親しまれ、朝顔市で知られている。つぎに向かったのは古社小野照崎神社で現存する富士塚を境内に持ち、これは重要文化財に指定されている。竜泉町方面に歩みを進めると西徳寺がある。2年前に惜しまれて亡くなった第18代 中村勘三郎の墓所があり、墓碑には本名の「波野」と刻まれている。つづいて西徳寺を出た向かい側にある鷲神社に入る。酉の市で有名な神社で、当日は20万人の参詣者を集まり、賑わう。同社は10日後に開かれる祭りの準備で、名物熊手の飾り付け台座の取り付け工事中で忙しい様相である。準備の舞台裏を見るだけでも、酉の市の盛況ぶりが想像できる。この神社の裏手一帯は幕府公認の遊郭「新吉原」があるところである。吉原弁財天に辿り着いた。境内には、遊郭の姿を留める「花吉原名残碑」や関東大震災で多くの遊女が池で溺死した悲劇を供養した築山の観音像が立っている。合掌!
吉原の周辺には、受験生や航空関係者に信仰のある飛不動や5千円札の肖像で知られる樋口一葉の住居跡の碑が残されている。さらに、ここには、天才女流作家 樋口一葉をすべて研究できる「一葉記念館」も建てられており、彼女を称える菊池寛小島政二郎などの追悼碑も建っている。幕府公認の遊郭「新吉原」は明暦の大火後、現在の人形町付近から移転してきた。この遊郭は、周囲をお歯黒どぶと呼ばれる水路で囲まれ、外部からの侵入また逃走を防ぐ造りになっていた。通りも碁盤目のように見通せるつくりになっていた。そして、唯一、吉原大門が出入り口で、その門前には番所が置かれて、警備されていた。また、大門に通じる道はS字造られ、外部からは見えない構造であったが、この地形構図はそのまま今日も残されている。大門を出て、土手通りに出たところに見返り柳と云う史跡がある。吉原で遊んだ游客が、この柳あたりで夢のように過ごした時間を振り返ったことから云うようになったと言う。ここまで来ると、少し早いが、昼食タイムになった。明治期から開いているという「おおむらそば処」店に入り、腹ごしらえすることとした。老朽化した店舗ではあるが、味は美味しく、しかも値頃であった。
昼食をしている間に、何と雨が降りだした。どうも本降りのようである。参加者の提案で、昼以降の向島界隈への散策は、歩行の危険性を考慮して割愛し、浅草に向かい早めの懇親会をすることに急遽変更した。したがって、楽しみにしていた向島百花園や木母寺への散策は次回に繰り越しとした。浅草に行く途中にある、散策予定の江戸六地蔵第四番の東禅寺と伊達騒動で知られた吉原の花魁 二代目高尾太夫の眠る春慶院へは訪れた。その後、江戸期歌舞伎で栄えた梅若三座通りを抜けて、浅草寺に辿り着いた。雨のなかにも拘わらず多くの外国人が来ている。東京に来る外国人旅行者の定番人気スポットの浅草は年々模様替えして、喜んでもらえるように工夫している様子が伺える。浅草は、何度か訪れているので、勝手知ったる散策は割愛し、朝に歌舞伎役者中村勘三郎を訪れたので、お閉いは市川團十郎「暫」の像の前で、記念撮影をして散策終了としました。
このあとは、本日の反省を兼ねた懇親会を女性陣から支持を集めた「十味 小野屋」で美味しい料理を食しながら親睦を深めました。 (報告: 石井義文)
真源寺
小野照崎神社
西福寺
鷲(おおとり)神社
吉原神社・吉原弁財天
飛不動
一葉記念館
見返り柳
春慶院
浅草寺
浅草の味処で懇親会