【第7回 お江戸散策 上野恩賜公園、谷中、入谷界隈】    平成23年(2011) 4月30日(土)

    この度のお江戸散策は、当初、3月12日に行う予定であったが、東日本大震災の影響で急遽中止し、その後被災者の心情を思いはかり無期延期としていました。しかし、いつまでも自粛をつづけるよりも、平常の生活に戻ることが、復興への遠因に通じるとの後押しを得たことから、忌引き明けの4月30日に実施することになりました。実施案内が急であったにもかかわらず、散策愛好者11名が参加してくれました。上野駅公園口に集合し、上野恩賜公園の旧跡から散策をスタートしました。この上野台地には徳川家康のブレーンであった天海大僧正の提案により、江戸城の鬼門封じのために、東叡山寛永寺が建立された。江戸時代までは、壮大な伽藍な形成され、寺院、塔頭が山全体を覆う景観であったと言うが、惜しむかな、幕末の彰義隊戦争において多くの塔頭寺院が焼失して、興廃してしまった。明治に入ってから、10年に開催された勧業博覧会を契機に、文化会館博物館西洋美術館、芸術大学そして動物園の施設が造られて都内有数の公園として今日に至っいる。有名な西郷隆盛像清水観音堂五条天堂大仏パコダおばけ燈籠、時の鐘鐘楼、上野東照宮、東京芸大の前進である奏楽堂そして旧池田藩上屋敷門などを見学した頃にランチタイムとなり、東京国立博物館内のレストランで、美味しい昼食を味わった。
  午後からは、東京大空襲で被災された方々の鎮魂碑、それに両大師堂、三代将軍家光が死去したとき殉死した家臣達の墓、寛永寺の歴代将軍家墓所寛永寺本堂の根本中堂など、江戸の名残をとどめるスポットを見学した。次いで谷中界隈に向かう。ここは寺院が沢山の立ち並び、まさに寺町である。この散策では、幕末三舟と言われた高橋泥舟と山岡鉄舟に因縁のある大雄寺全生庵、帝国憲法起草者井上毅が眠る瑞輪寺そして愛染かつら所縁の自性院を訪れた。谷中共同墓地では、長谷川一夫、徳川慶喜、渋沢栄一の墓を詣でるとともに、谷中の象徴だったが惜しくも焼失した五重塔の跡地を暫し眺めて、幸田露伴の小説「五重塔」の一節を偲んだ。墓地を横断するように抜けて、山手線陸橋を越え根岸に入った。江戸から明治期は、牧歌的な風情があり、詩や小説をいそしむに相応しい風情であったといい、そこには落語家 林家三平の住居、俳人正岡子規が住んでいた庵、豆腐料理の名店「笹の雪」などがある。しかし、今日景観は一変し、その昔の面影は感じられない。最後は「おそれいりやのきしぼじん」で知られた入谷鬼子母神像のある真源寺を訪れたところで日没になり、小野照崎神社は割愛して、今回の散策をお開きとした。散策箇所は、30ケ所に至り、明治〜昭和にかけて大きく様変わりした一帯であるが、江戸の香りが所々に残っていて、散策の主旨を十分味わえた魅力あるコースであった。このあと鶯谷駅近くの居酒屋にて、反省会を行い、談笑しながら今日の一日を振り返りました。
(石井義文)(資料
 ユリシーズ・S・グラント将軍は南北戦争の
英雄であり,第18代アメリカ合衆国大統領。
 伏見宮家出身の皇族で、戊辰戦争、佐賀の乱、西南
戦争等で内乱鎮圧の指揮を執った元帥陸軍大将
 これより ランチタイム
 谷中 五重塔跡  昭和32年 放火心中により焼失
 落語家 林家三平の住居  俳人 正岡子規が住んでいた家
 おそれいりやの鬼子母神で有名な寺  渥美清がしばしば参詣した神社
おつかれさまでした!!   これより懇親会