岩殿城址 と 猿橋
岩殿城趾
猿橋
 
三猿塔の由来
  奈良朝のむかし、この一帯の交通は至極難渋で、渓谷を渡る事は思いも寄らなかった。桂川渓谷は、奥は小金沢から大菩薩峠に続く大幽谷で当時、この辺は老木が鬱蒼した、昼なお暗き原始林に覆われていた。猪や鹿そして山猿が群を成していた。ある日、白毛の老猿がけやきの枝に吊り下がると小猿たちは互いに手足を繋いで、向こう岸の藤蔓に飛びつきながら、架け橋の形となり、それを頼りに両岸を往来した。これにヒントを得た百済の造園博士・芝耆麻呂(しきまろ)が考案した日本三大奇橋の一つと呼ばれるこの猿橋ということです。 
つづいて、宮ヶ瀬ダム相模湖をどうぞ。 こちらを クリック   Go !