本日は、かねてより散歩してみたいと思っていた葉山一色海岸と、海岸に突き出た急峰三ケ岡山を逍遙してみた。平日は終日駐車無料の特典を活用させていただき、クルマをここに停めて、歩きんぐを開始しました。海辺の大浜海岸を歩き、右手に御用邸を眺めながら歩き、御用邸の塀に沿って回るように進むと県道207号線に出る。県道を横切って、細い路地に入って行くと左手に森山神社の参道が見える。この神社から本日の逍遙開始です。(2020年1月20日)
 
森山神社
 
 鴫立亭(Shigitatsutei) は大磯に本店があり、屋号の由来は、鎌倉時代の歌人西行法師がこの地を訪れたとき「こころなき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」吟詠したと言われています。江戸期に入って、この辺に俳諧の道場が開かれ、その名を「鴫立庵」と命名されました。鴫立庵は江戸、大阪でも知られるようになり、多くの歌人・俳人が訪れて名所となりました。洋菓子店は、その名跡の名に因んで付けられました。葉山店は、御用邸に近いことから、上皇および皇太后が保養に訪れたときにしばしば御注文を出されたようで、美智子皇太后は店にも訪れたことがあるそうです。 
旧伏見宮邸は、海軍軍人であり、横須賀鎮守府艦隊司令官でもあった伏見宮博恭親王(ひろやす)の別邸があったところである。この邸宅から横須賀鎮守府まで45分以内で出府できる位置にあり、宮は多くの時間住まいしていたという。伏見宮博恭親王は日独伊三国同盟・太平洋戦争と時代が移る中で海軍軍令部の最高実力者として海軍省より大きな発言力を持つと同時に人事においても強い権限を有していた主戦派の一人であった。日米開戦においては、山本五十六、井上成美らの開戦反対派を抑えて、開戦を誘導したとも言われ、戦争責任者の一人に名が上げられたが皇族であったことから、密かに削除されたといいう。なお、この邸宅は、後に羊羹の虎屋黒川家が所有している。
加地邸
  加地邸は三井物産のロンドン支店長や重役、監査役を歴任した加地利夫の別邸として1928年に建てられた邸宅で、アメリカ人、フランク・ロイド・ライトの愛弟子として知られる建築家・遠藤新が設計を担当した。葉山の象徴的な建物として地元でも親しまれている建物である。現在、愛知県犬山市明治村に保存されている、旧帝国ホテル中央玄関の設計をしたのがライトで知られるが、この加地邸には、旧帝国ホテルに似たような外観を備えていますが、現在、人が住んでいるので、門外から覗きみるだけで、お次へ移動。
玉蔵院
玉蔵院は奈良時代の天平勝宝年間に開基され、弘法大師(空海)を宗祖とする高野山真言宗を宗派とする葉山最古の寺院です
三ケ岡山緑地
葛折りの曲がりくねって続く坂道を10余分ほど登っていくと東峰広場に着く。小休止のあと、続いてそこから尾根道を200mほど歩くと、山頂広場に到着した。 本日は登山者がまばらで、途中3組ほどすれ違ったが、広場の四阿屋やベンチには人気がない。しかし、この山頂広場から見る眺望は、素晴らしく、急峻な上り坂を息を切らして登ってきた労苦が忘れられます。 
 東峰広場~山頂広場~西峰疎林広場に至る尾根道は勾配が緩やかで軽快に歩ける散歩道です
 これより先は、急勾配の降り階段が熊野神社まで続く
真名瀬漁港
 これより、県道207号線に沿って南下し、一色海岸を経由して、パーキングしている県立葉山公園に向かいました
本日は快晴に恵まれ、気温も11℃。散策時間は、およそ2時間半ほど、快適な逍遙日和でした。