逍 遙
  2020年 4月28日、コロナ感染で、緊急事態が発出されている最中であったが所用があり、銀座松屋付近に出掛けた。所用を済ましたあと、久しぶりに来たことでもあり、街の様子を見届けたいと思い、中央通りを銀座~日本橋方面を歩き、日本橋~丸の内に入り、しばし徘徊後、東京駅から日暮里駅に向かった。そこで谷中の未散策の史跡、神社仏閣を訪れた。どこも感染禍を避けるため、百貨店、オフィースも閉まり、さながらゴーストタウンのなかを逍遙する体験となった。
松屋前より新橋方面を望む 松屋前より京橋方面を望む
鍛冶橋通り 日本橋高島屋・丸善前
日本橋の書は、憲政の神様と言われた尾崎行雄が東京市長をしているときに、鉄筋で竣工された日本橋を徳川慶喜に依頼して書留められた
   麒麟は吉兆や繁栄を表す神獣で、日本橋の麒麟像は「東京都の繁栄」を意味している。7街道の起点として、全国に飛んでいくことを象徴する意味が込められている。日本橋の装飾意匠設計者は明治建築界の三大巨匠の一人 妻木 頼黄(つまき よりなか)、麒麟像と獅子像は彫刻家の渡辺長男(おさお)、鋳造彫刻家の岡崎雪聲(せっせい)が制作。 岡崎は、上野公園の西郷隆盛像、掃部山公園の井伊直弼像なども鋳造している。
 ゲルニカ   作者: パブロ・ピカソ (スペイン、1881~1973)
1937年、フランコ将軍の要請でナチス・ドイツ軍はスペインの古都ゲルニカを猛爆撃して全滅させた。この暴挙に衝撃を受けたピカソは2ケ月足らずで大壁画を完成、パリ万国博覧会で発表した爆撃の直接的な表現は避け、鮮やかな明暗の対比のうちに故国の悲劇を象徴的に描いた「ゲルニカ」は20世紀という”戦争の世紀”にあって、平和への希求を込めた記念碑作品となった。
 初めて目にする人のいない丸の内 東京駅北口ドームの干支レリーフ。 卯、酉、午、子がいない。
 このあと、東京駅より、谷中の未散策地へ行くため、日暮里駅に向かう。