八王子城趾 (八王子市)
 八王子城は小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であった。標高445 mの深沢山に築城された中世山城で、山頂に八王子権現を祀られていることから、八王子城と名付けられた。北条氏政の弟・氏照が織田信長が築城した安土城を参考にして元亀2年(1571)頃より築城し本拠とした。天下統一を目指す豊臣秀吉の野心に背いたため八王子の北条氏は、秀吉の軍勢に加担した上杉景勝、前田利家ら大部隊に攻撃された。当時、城主氏照は小田原本城に出陣していて、八王子城内には城代の横地監物吉信、家臣の中山勘解由家範らわずかの将兵と農民と婦女子を主とする領民を加えた約3000人で守っていた。要害の城ではあったが、多勢に無勢、抵抗空しく1日にして落城した。落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らは滝の上流で自刃し、次々と身を投じたと伝えられている。この八王子城攻防戦ののち小田原城も圧倒的な豊臣軍の前に降伏し小田原城主の北条氏照は兄、氏政とともに切腹した。
 ここで一旦、管理事務所に戻り、事務所脇の山道を登って、本丸跡に向かう
 気軽に考えて、登って行ったが、結構勾配があり厳しい登山である
この眺望を眺めると、ここまでやって来て良かったと思う
 湿土に足を取られ転倒、しばし痛憩 第二鳥居
訪れる人も少ない古い山城ですが、命を懸けて戦った武者達の亡霊と叫びが辺りに立ちこめている気配を感じました。 ♪ 古城
 
長福禅寺 (町田市)
  町田市相原の籌国山長福寺は1625 年に開山し、1812 年に現在地に移転しました。また1842 年には本堂が改修されています。本堂の格天井には、江戸の狩野派の絵師長谷川雪堤によって桜・水仙・アジサイなどの草花が35枚描かれています。山門の扉には「竹林の7賢人」文殊堂前柱の登り竜下り竜等優れた彫り物が見られます。そして本堂の格天井花丸絵画、山門、文殊堂は町田市の文化財に指定されています。明治5年(1872)に学制が発布され、国民のすべてが初等教育を受けることが定められると、相原村では明治7年、この長福寺に相原学校が創設されました。
青木家屋敷 (町田市)
  青木家は江戸時代後半から大きく屋を伸ばし、幕末から明治期にかけての歴代当主は豪農・篤農家として地域社会の教育勧農に貢献してきた。特に青木正太郎(1854-1932)は自由民権家として活躍し、明治初期の青年たちに影響を与えた家柄である。青木家屋敷は文久2二年(1862)頃建立され、建物と屋敷構及び庭園は、水戸の弘道館と下屋敷を倣して造られたと伝えられている。建物は桁行十間半、梁行七間、茅葺入母家造りで、三室並列構成の桁行六間半、梁行三間半の書院座敷を有する名主造りと呼ばれる住宅である。聞取りは四間取りの基本型を大規模化し、南側に表玄関を設けている。屋敷構はもとより、主家、書院座敷共に選りすぐれた建材が用いられ、意匠にも高い技術の逸材が使用されている。これは幕未期における上層民家の特色を発揮した屈指の存在である。屋敷の周囲は家を取り囲むように「黒塀」が張り廻らされ、中央に「赤門」、右手に「青木医院」の看板が掲げられており、今日も内科小児科の診療を行っている。