日目      その 3 2019.08.04 
豊国神社・常泉寺・妙行寺
豊国神社
常泉寺
常泉寺は太閤山と号する日蓮宗の寺で、加藤清正が一族の円住院日誦上人とはかって建立。
境内には、秀吉誕生の時に使われたという「秀吉産湯の井戸」や秀吉自ら植えたといわれる「秀吉手植の柊」があります。 
木下長嘯子 (きのしたちょうしょうし)  (1569~1649) 
  木下家定の嫡男(養子)。豊臣秀吉夫人高台院(北政所ねね)の甥。小早川秀秋の兄。秀吉の愛妾松の丸と先夫武田元明の間の子とする伝もある。歌人木下利玄は次弟利房の末裔。幼少より秀吉に仕え、天正五年(1587)龍野城主に、文禄三年(1594)若狭小浜城主となる。秀吉没後の慶長五年(1600)、石田三成が挙兵した際には伏見城を守ったが、弟の小早川秀秋らが指揮する
西軍に攻められて城を脱出。戦後、徳川家康に封地を没収され、剃髪して京都東山の霊山に隠居した。本居を挙白堂と名づけ、高台院の庇護のもと風雅を尽くした暮らしを送る。高台院没後は経済的な苦境に陥ったようで、寛永十六年(1639)頃には東山を去り、西行が出家した寺で知られる洛西の勝持寺の傍に移り、この地で没する。享年 81歳
 歌は細川幽斎を師としたが、冷泉流を学び、京極為兼・正徹などに私淑した。寛永以後の地下歌壇では松永貞徳と並称される。中院通勝・冷泉為景・藤原惺窩らと親交があった。門弟に山本春正・打它公軌(うつだきんのり)・岡本宗好などがいる。また下河辺長流ら長嘯子に私淑した歌人は少なくなく、芭蕉ら俳諧師に与えた影響も大きい 
妙行寺
妙行寺は慶長15年(1610)名古屋城築城の際、余材を使って清正が自分の生誕地に再建したといわれる寺。
境内には加藤清正像や「清正公誕生之地」の碑があります。
 
8月 2日 --- 歩数 23,279歩 14.2km