大樹寺

大樹寺
  大樹寺は松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(14754代親忠により勢誉愚底上人が開山しました。家康公は桶狭間の戦いで敗れたとき当寺に逃げ帰り、自害を試みた際に、住職から「太平の世を目指す」教えを受け、思いとどまったといわれ、德川の歴史に大きな役割を果たした寺です。3代将軍家光公建立の三門から総門を通して3km南方の岡崎城が見えるように工夫した伽藍の配置は、「ビスタライン」と呼ばれ、歴史的眺望として約370年間守られてきました。御堂には歴代将軍の位牌、家康73歳の時の木像などが祀られています。また、国の重要文化財である多宝塔は、天文4年(1535)に家康の祖父・松平清康が建立しましたもので、室町末期の美しい彫刻模様を見ることができます。
 多宝塔
天文4年(1535)松平清康が建立した。一層は方形、二層は円形の格調高く、足利時代に建立された最も古く、美しい多宝塔です。
 
 廟所
松平家第4代親忠は大樹寺創建の際、先祖三代の墓を移祭し、廟所を創建した。元和3年(1617)家康の一周忌にあたり、第2代将軍秀忠は先祖松平八代の廟所を修復再建した。親忠以下の墓石には「奉再興五輪元和三暦南呂(八月)十五日」と刻まれている。
 大樹寺より岡崎城を望む展望(ビスタライン)
 第3代将軍家光が、大樹寺より家康公誕生の地、岡崎城を拝し、また、岡崎城から守護していただき、德川歴代将軍並びに松平家先祖を祈念できるよう大樹寺の建造を行った。その大造営(1636~1641)は、本堂、大方丈をはじめ、58棟の伽藍を配置していた。神君家康公を尊敬する家光の思いは、370余年の月日が流れても岡崎市民に守られ、大樹寺から岡崎城には多くの家が建っているが、眺望を遮る高層ビルは建てられていない。