* 御茶壷道中は、将軍が飲み徳川家祖廟に献ずるものであり、大変権威があった。摂関家や門跡並で、御三家の行列であっても駕籠から降りて、馬上の家臣はおりて、道を譲らねばならなかった。
行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、農繁期であっても田植えは禁止された。子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、葬式の列さえ禁止された。権威のあるこの行列を恐れていた沿道の庶民は、茶壷の行列が来たら、戸をぴしゃんと閉めて閉じこもった。また、道で出くわしたら、土下座で行列を遣り過すしかなかった。茶壺の行列の様子は、童歌の「ずいずいずっころばし」に表現されて歌い継がれている。 |
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